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映画「風と共に去りぬ」

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ハリウッド映画の代名詞

39年製作の『風と共に去りぬ』は、マーガレット・ミッチェルのベストセラー小説を映画化した、アメリカ南北戦争時代のメロドラマ大河。総製作費600万ドル、当時としては画期的な全編テクニカラーで撮影され、上映時間も3時間40分余りに及ぶハリウッド超大作である。

ミッチェルの原作が36年6月に発売されると、たちまち世界中でベストセラーとなり(日本で翻訳されたのは翌37年)、その年のうちに製作者デヴィッド・O・セルズニックが映画化権を獲得。この壮大な作品を完成させるべく、可能な限りの費用と人材を投入して製作に関わる全てを独裁的に指揮した。

19世紀半ばのアメリカ南部アトランタ州を舞台に、情熱的なヒロイン、スカーレット・オハラの波乱に満ちた愛の半生を大スケールで描く内容。今なお絢爛豪華たるハリウッド映画の代名詞として君臨する、史上最も有名な作品のひとつ。

作品賞、監督賞、主演女優賞など、米アカデミー賞の当時最多記録となる9部門を受賞、史上観客動員数では他の追随を許さない不朽の作品である。ヴィヴィアン・リーの光り輝く美貌も、クラーク・ゲーブルの気品と逞しさに溢れる伊達男ぶりも、永遠に色褪せることがない。

「明日は明日の風が吹く」

南北戦争直前の頃、アメリカ南部ジョージア州タラの大農場主・オハラ家の長女スカーレットは同じ名家ウィルクスの長男アシュレーに好意を抱いていた。だが彼が結婚相手に選んだのは、美貌を持ちながら気性の激しいスカーレットではなく、知性的で従順な従姉妹のメラニーだった。

ショックを受けたスカーレットは当てつけにメラニーの兄チャールズと結婚するが、夫はその後南北戦争に出征して戦死。若き未亡人となってしまったスカーレットは、いっそうアシュレーへの想いを募らせる。そんな彼女の目の前に現れたのが、南北両軍で物資を売りさばき、巨額の富を得ていたレット・バトラーである。

南軍の敗走で没落したオハラ家を再興しようと、スカーレットは悪徳商人とも噂のあるバトラーの求愛を受け入れる。父の相次ぐ事故死という不幸にも堪え抜き、バトラーの豪快な生き様に惹かれだすスカーレット。だが戦争は激化、バトラーは南軍の守る前線に赴き、残った彼女は厳しい農作業の日々を送ることになる。

戦災でタラの屋敷は焼け、北軍兵士をも殺したスカーレットは、「私は二度と飢えない。私の家族も二度と飢えさせない。そのためには何でもする」と固く決意。妹の婚約者を奪い、木材会社を切り回して再び富を勝ち取る。やがて二人目の夫も殺され、スカーレットは戻ってきたバトラーとついに結婚する。

ところがアシュレーを忘れられないスカーレットとバトラーの生活はすれ違いが続き、唯一の絆であった娘すら事故で失って、バトラーはスカーレットの許を去って行く。それでもスカーレットは「明日考えよう。明日は明日の風が吹くわ」と、持ち前の気丈さでタラの大地に立つ。

製作裏話

脚本には複数のシナリオライターが参加。撮影中に何度も書き換えられたため、撮影終了の最後の日まで完成脚本といえるものはなかったそうだ。監督も当初、女優の演技を引き出すことで定評のあったジョージ・キューカーが務めたが、セルズニックと方針が合わなかったことで降板、職人監督のビクター・フレミングと交替している。

レッド・バトラーの配役はクラーク・ゲーブルにすんなり決まり(ゲイリー・クーパー、ロナルド・コーマン、エロール・フリンなども候補に挙がっていたらしい)、アシュレー役には渋っていたレスリー・ハワードをセルズニックが口説き落とした。

ヒロインの従姉妹メラニー役にはセルズニックの秘蔵っ子であるジョン・フォンテインの名前が挙がったが、スカーレット役を狙っていた彼女は辞退、代わりに姉のオリビア・デ・ハビランドを推薦した。ハビランドはチャンスとばかりにメラニー役を引き受け、アカデミー助演女優賞を獲得することになる。

しかしスカーレット・オハラ役の選定は難航。候補にのぼった女性は千四百人、カメラテストを受けた女優は90人いたという。そのカメラテストの様子を記録した映像は今も残されていて、その中にはジョーン・ベネット、ジーン・アーサー、ポーレット・ゴダード、ラナ・タナー、スーザン・ヘイワードら有名女優の姿もあった。

それでも決め手に欠き、主演女優が決まらないまま、アトランタ市街の炎上シーンから撮影が開始。そのとき、デヴィッド・セルズニックの兄マイロン・セルズニックに連れられ撮影所に現れたのが、ヴィヴィアン・リーだった。

兄のマイロンは、ヴィヴィアンと恋人関係にあったローレンス・オリビエのハリウッドにおけるエージェント。ヴィヴィアンからの熱烈なアプローチを受け、マイロンはプロデューサーの弟に彼女を紹介したのだ。

『無敵艦隊』(37年)などの出演作で以前からヴィヴィアンの事を知っていたD・O・セルズニックだが、直接彼女と会って一目で直感。「私の考えていたスカーレット・オハラそのままだ」と、強烈なインパクトを受けた様子をのちに語っている。

こうして超大作『風と共に去りぬ』が誕生、映画史に燦然と輝く金字塔となった。最近の黒人抗議デモの広がりを受け、人種差別表現の描写があるとして『風と共に去りぬ』は一時映像配信を停止されたが、その後時代背景を解説する動画を付けて配信が再開されている。

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