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中村憲剛選手 現役引退を発表

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40歳での引退

川崎フロンターレの元日本代表MF中村憲剛選手が10月1日、今シーズンを限りに現役からの引退を発表した。中村選手は、前日のFC東京戦で40歳のバースディー弾を自ら決めたばかり。それだけに電撃的な引退発表となった。

クラブ公式You Tubeチャンネルで生配信された引退会見でスーツに身を包んだ中村選手は、いくぶん緊張した面持ちながらも「いつしかこの日が来ると思っていた。ほっとしている」と第一声、「求められる選手のまま引退したい」と思いを語った。

引退の決断時期については、「35歳の誕生日で、妻に『現役は40まで』と伝えていた」とのことで、周囲の強い引き留めにも「昨日・今日のことではなく、覚悟を決めての引退。それだけ重い選択だった」と意志を変えることはなかったようだ。

ミスター・フロンターレのキャリア

中村選手は1980年10月31日、東京都小平生まれ。少年時代に所属した府中市のサッカー少年団には、2歳年上の澤穂希がいた。その後、中央大学に進学してレギュラーとして活躍するが、線の細さでプロチームから誘われることもなく、当時J2の川崎フロンターレへテスト入団。そして練習生から、03年にようやく正式契約を結ぶ。

各年代の代表歴さえなく、体格にも身体能力にも恵まれているとは言えなかったが、持ち前の「雑草魂」で徐々に頭角を現わすと、06年から5季連続でベスト11に選ばれるほどの選手に成長する。

日本代表には、オシムジャパン時代の06年10月に初選出。10月4日のガーナ戦で最初のキャップを刻むと、11日のインド戦で初得点を記録して代表定着を果たす。そして10年Wカップ・南アフリカ大会のメンバーに選ばれ、決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦で途中出場している。

プロ入り一筋で過ごしたフロンターレでは、16年に最年長MVPを獲得、17年には苦しい時期を乗り越え「一番の思い出」と語るJリーグ初制覇を果たした。翌18年もリーグを連覇、弱小チームからJ屈指の強豪となったフロンターレの歩みは、そのまま中村選手18年の歩みだった。

昨年11月に左足前十字靱帯を損傷。今年はリハビリとともにコロナ禍とも戦いながら、諦めずにチームへの復帰を目指した。そして10ヶ月ぶりの出場となった8月29日の清水戦で、カムバックを告げる復帰弾。さらに先日のFC東京戦でもバースディー弾を決め、ミスター・フロンターレとしての勝負強さを見せた。

「残り2ヶ月間、1日も無駄にせずタイトルを目指したい」と力強く語る中村選手。リーグ優勝と天皇杯優勝で、背番号14番の有終の美を飾る決意だ。

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