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ディエゴ・マラドーナさん死去

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サッカー界のスーパーレジェンド

25日、サッカー界のレジェンド、ディエゴ・マラドーナさんが、ブエノスアイレス郊外の自宅で死去したと発表された。

今月の2日に脱水症状や貧血を訴えて、ブエノスアイレスの病院に入院。硬膜下血腫と診断された。3日に手術を受けて成功したと伝えられ、11月には退院して自宅に戻っていた。地元メディアの報道によると死因は心不全、享年60歳だった。

マラドーナは1960年10月30日ブエノスアイレス生まれ。ジュニア時代から天才児の名をほしいままにし、ボカ・ジュニアーズ、バルセロナ、ナポリといったクラブで活躍。86年のメキシコWカップでは、その飛び抜けた存在感とプレーでアルゼンチンを2度目の優勝に導き、大会MVPを獲得している。

マラドーナの伝説

マラドーナが日本で知られるようになったのは、79年9月に日本で開催されたワールドユース選手権。すでに18歳神童の噂は海を隔てた極東の国にも届いていたとはいえ、実際目の当たりにするそのプレーはもはや異次元、足に吸い付いたボールを誰も奪うことが出来なかった。

この時のワールドユースに出場していた風間八宏さんは、「マラドーナには1m四方のスペースさえあれば、フリーと同じ」とその凄さを語っている。圧倒的強さを見せたアルゼンチンはワールドユース初優勝、マラドーナも「初めて国際大会で手にしたタイトル。思い出深い」と述懐したそうだ。

82年のワールドカップでは若さを露呈しその真価を発揮出来なかったが、主将として臨んだ86年のワールドカップでは見事な活躍を見せて優勝を達成。その存在の大きさで「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」と呼ばれた。

特に準々決勝のイングランド戦での「神の手ゴール」や「5人抜きゴール」は、ズルさと神業を兼ね備えたマラドーナをまさに象徴するゲーム。今もなお語り継がれる伝説の試合となった。また84年に移籍したセリエAのナポリでは、南部の中堅クラブに過ぎなかったチームを2度のリーグ優勝に導き、サポーターから「ナポリの王」と呼ばれ愛された。

マラドーナの凄さは、ゾーンプレス戦術で有名なACミランのアリゴ・サッキ監督が、「戦術は選手に優先する。ファン バステンフリットも私の戦術に従わなければいけない。マラドーナだけは例外だが・・・」と言ったというエピソードでも分かる。

栄光の裏のスキャンダル

その栄光の一方、酒、ドラッグ、女性関係、脱税といったスキャンダルで、常に世間を騒がせた存在でもあった。91年のナポリ時代はコカイン使用が発覚して逮捕、94年には自宅に押しかけたマスコミに向けて空気銃を乱射するという騒動を起こしている。

復活を果たしたと思われた94年のワールドカップでは、ドーピング違反で追放処分。97年の引退後もコカイン中毒、アルコール依存に苦しみ、たびたび体調を崩して病院への入院を繰り返した。その後暴飲暴食で一時130㎏まで太り、05年には胃の縮小手術を受けている。

それでも08年にはアルゼンチン代表監督に就任。10年のWカップ南アフリカ大会では、メッシを中心としたチームでベスト8入りした。優勝は果たせなかったが、ベンチで見せた喜怒哀楽の激しいパフォーマンスは大会を盛り上げ、時には試合内容より注目された。

その後は各国でクラブ監督を務め、現在はアルゼンチンのヒムナシアで監督をしていた。この国民的英雄の死に、アルゼンチン政府は全土で3日間を喪に服すと発表している。

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