スポンサーリンク
スポンサーリンク

スポーツ x ヒューマン 中村憲剛

スポンサーリンク
スポンサーリンク
引退の真意

Jリーグの全日程が終了し、中村憲剛選手の引退セレモニーが行われたその夜に、BS1のドキュメンタリー『スポーツ × ヒューマン Last Days 川崎フロンターレ 中村憲剛』が放送されていた。

フロンターレ一筋18年、プロ入りから取材を続けてきたNHK記者が「その最期の1年」を追った内容。8ヶ月に及んだ大怪我からの復活を目指すリハビリに密着しながら、突然にも見える “引退の真意” を探っていく。

30歳までやれれば御の字だと思っていた中村選手は、35を迎えたとき、漠然と40での引退を考えたという。結果的にその5年間が、彼のサッカー人生を集約する期間となった。

復活を目指してのリハビリ

中村選手が怪我を負ったのは去年11月の広島戦、左膝全十字靱帯および外側半月板損傷という選手生命を脅かしかねない重傷だった。すでに39歳となっていた中村選手には、そのまま引退という選択もあったはずだが、「それは全く考えなかった」と翌シーズンの復活を目指して必死のリハビリを始める。

ジュニア時代は身体も小さく、決してサッカーエリートではなかった中村選手。その彼がJリーグ屈指の司令塔となり、日本代表にも選ばれる選手となったのは、たゆまぬ努力とへこたれない雑草魂があったからだ。

どんな逆境も、厳しいトレーニングとハングリー精神で乗り越えるのが中村選手の姿勢。例え引退を決めていたとしても、復活してから最期の花道を飾りたいというのが彼のプレイヤーとしての生き様だ。

引退を考えた翌年の16年に、史上最年長となる36歳でJリーグ最優秀選手賞を獲得。17年に3年間務めたキャプテンの座を小林悠選手に譲ると、37歳で悲願のリーグ初優勝を果たす。翌18年も2連覇を達成、19年にはルヴァン・カップも初制覇し、まさに20年は有終の美となる年だったのだ。

フロンターレのバンディエラ

8月29日の清水エスパル戦、後半29分から投入された中村選手は、約10ヶ月ぶりとなる実戦のピッチへ。前線のルーズボールを拾ってさっそく得点を決めて見せた。40歳の誕生日となる10月31日にはバースデーゴールで勝利に貢献。その翌日、シーズン限りでの引退が発表された。

番組では、中村選手が川崎の人々や地域の子供たちと積極的に交流する姿も紹介された。自ら進んで楽しそうにファンに接する姿は、まさにプレーだけに留まらないフロンターレの顔。チームからもサポーターからも愛される真の「バンディエラ(1チームを貫いた旗手)」だ。

引退直前まで、懇意にしていたNHK記者にもその真意を漏らすことのなかった中村選手、「何か言ったら、自分の中の決意が崩れそうな気がした」が理由とのこと。記者の「そこまで治して、何で辞めるかな」の問いには、「もう辞めることは決めていたので。むしろ残り5ヶ月のために、8ヶ月のリハビリをした」とその美学を語る。

16日に行われたホーム等々力の最終戦では、引退間近を感じさせない鋭いラストパスで小林選手の得点をアシスト、健在ぶりをアピールした。だがフロンターレはまだ天皇杯の準決勝を27日に控えており、勝てば1月1日に新国立競技場で行われる決勝でフィナーレ。これが中村選手の花道となる予定だ。

タイトルとURLをコピーしました