《 サッカー人物伝 》 マヌエル・ルイ・コスタ

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「ポルトガルのマエストロ」マヌエル・ ルイ・コスタ ( ポルトガル )

優雅でしなやかな身のこなしでボールを操り、アーティストのような閃きで好機を演出した天才肌の司令塔。抜群のテクニックと多彩な攻撃のアイデアを持ち、オーケストラの指揮者を思わせる芸術的なゲームメイクから「マエストロ」と呼ばれたポルトガルの10番が、ルイ・コスタ( Rui Manuel Cesar Costa )だ。

ルイス・フィーゴら多くのタレントが現れた「ゴールデン・ゼネレーション」の旗頭となり、自国で開催された91年のワールドユース選手権を制覇。彼ら黄金世代はフル代表でもチームの主力に成長し、国際舞台で低迷していたポルトガルをユーロ96のベスト8、ユーロ2000のベスト4に押し上げた。

唯一の出場となった02年のWカップでは輝きを見せることが出来なかったが、地元開催のユーロ04では2ゴールを挙げて初の決勝進出に貢献した。セリエAのフィオレンティーナではバティストゥータと強力なホットライン形成し、多くのゴールを生み出している。


ルイ・コスタは1972年3月29日、首都リスボンの衛星都市アマドーラで生まれた。5歳で地元の幼年チームに入団してサッカーを始め、10歳のときに名門クラブ、ベンフィカのトライアルを受ける。コスタの卓越したスキルはたちまちクラブのレジェンド、エウゼビオの目に止まり、名門チームへの加入が決まった。

そのあとしばらくベンフィカのユースチームでプレーするが、18歳となった90年に2部リーグのファフェへレンタル移籍、1年間38試合の実戦経験を積む。そのファフェでのプレーがユース代表カルロス・ケイロス監督から注目され、91年の夏にU-20代表へ選出、自国開催のワールドユース選手権に出場する。

ルイ・コスタを始め、フィーゴ、パウロ・ソウザ、ジョアン・ピントらのタレントを揃えたポルトガルは、中盤の4人が自由自在に動き回り、パスやドリブルを駆使した華麗なサッカーで勝利を重ねた。グループステージではアイルランドを2-0、アルゼンチンを3-0、南北合同コリアを1-0と撃破、全勝でベスト8に勝ち上がる。

準々決勝ではメキシコを延長で2-1と下し、準決勝ではルイ・コスタのゴールでオーストラリアを1-0と退けた。決勝ではロベルト・カルロス擁するブラジルと対戦、0-0で進んだ試合は延長の120分を終わっても勝負はつかず、優勝決定はPK戦に持ち込まれた。

4人中2人がゴールを外したブラジルに対し、ポルトガルは3人目までが成功。最期は4人目を任されたルイ・コスタが確実にPKを決め、ポルトガルが前大会に続く2連覇を達成する。高い技術に裏打ちされた自由なサッカーは見る者に強いインパクトを与え、ルイ・コスタはピッチの指揮者としてチームを操ったのである。

大会終了後にベンフィカへ復帰。91-92シーズンは21試合に出場してレギュラーの座をたぐり寄せ、92-93シーズンは国内カップ優勝のタイトルを獲得。主力となった93-94シーズンはジョアン・ピントと強力な中盤を形成し、3季ぶりのリーグ優勝に貢献する。

94-95シーズンにはセリエAのフィオレンティーナへ移籍。フィオレンティーナはこの前シーズン、セリエBでの戦いを強いられていたが、チームに残留したバティストゥータの活躍で、1年でセリエAへの復帰を果たしていた。

シーズン開幕当初こそ慣れない環境に苦戦したルイ・コスタだが、すぐにバティストゥータと良い関係を築き、エースのゴール量産をアシスト。バティストゥータはリーグ戦で26ゴールを記録し、初の得点王に輝く。翌95-96シーズンも強力コンビは大活躍、フィオレンティーナ4度目のコッパ・イタリア制覇に貢献、カップウィナーズ・カップでも準決勝まで進んだ。

繊細な技術でゲームを組み立てる司令塔ルイ・コスタはクラシックタイプの10番と呼ばれ、この時代「絶滅危惧種」となったファンタジスタの代表格となった。緩やかなボールキープから、瞬く間に超高速のスルーパスを通すそのセンスとスキルは、欧州随一と評される。

A代表には93年に初招集され、3月31日に行われたWカップ欧州予選のスイス戦で代表デビューする。だがポルトガルはイタリア、スイスに続くグループ3位となってしまい、Wカップ本大会への出場は叶わなかった。それでもWユースを制した「黄金世代」が次第に代表の主力へ成長し、イングランドで開催されたユーロ96に3大会ぶりの出場を果たす。

G/Lの初戦は前大会チャンピオンのデンマークと1-1の引き分け、続くトルコ戦は1-0の勝利を収めた。最終節では新興国クロアチアに3-0の快勝、グループ1位でベスト8に進むが、準々決勝ではチェコに0-1と敗れてしまった。

中盤で頻繁にポジションチェンジを行う、ポルトガルの「アコーディオン・システム」と呼ばれるサッカーは世界のファンを魅了したが、一方で勝負より自分たちのスタイルに固執する傾向があり、ゲームを支配しながら得点力不足に陥っていた。中盤に才能豊かな選手を揃えながら、FWに決定力を持つ人材もいなかった。

98-99シーズン、ジョバンニ・トラパットーニがフィオレンティーナの監督に就任。チームは開幕から快進撃を続け一時は首位に立つが、バティストゥータの故障離脱などでリーグ3位に終わってしまう。その後チームの勢いは下降線を辿っていき、00年には経営難からエースのバティストゥータを放出、翌01年にはルイ・コスタもACミランに売り渡されることになった。

98年のWカップはまたもや欧州予選でドイツ、ウクライナに続く3位に終わり、本大会出場を逃してしまう。それでも00年6月にはベルギー、オランダ共催のユーロ2000に出場、ルイ・コスタ、ジョルジュ・コスタ、フィーゴ、フェルナンド・コウトら「黄金世代」がピークを迎えた大会となった。

ポルトガルの入った予選A組は、ドイツ、イングランド、ルーマニアと強敵・難敵が揃った「死のグループ」。初戦のイングランド戦は、スコールズとマクマナマンのゴールで早い時間に2点をリードされるが、そのあとフィーゴとジョアン・ピントの得点が生まれ前半のうちに追いつく。そして後半に入った59分、新星FWヌーノ・ゴメスが逆転弾、ポルトガルが3-2の接戦を制した。

続く第2戦はゲオルゲ・ハジ率いるルーマニアに苦戦を強いられるが、0-0のまま延長に入るかと思えた90分、途中出場のダ・コスタに劇的な決勝ゴールが生まれた。こうして連勝で早々とベスト8進出を決めたポルトガルは、最終節の試合を控えメンバーで臨み、今大会絶不調のドイツにセルジオ・コンセイソンのハットトリックによる3-0の快勝を収める。

準々決勝のトルコ戦はヌーノ・ゴメスの2発で2-0の勝利、準決勝でWカップ王者のフランスと戦う。開始18分、右サイドの攻め上がりからボールを受けたヌーノ・ゴメスが目の覚めるようなシュート、ゴール左隅に先制弾を叩き込んだ。そのあとフランスの反撃を抑え、前半は0-1と折り返す。

後半の51分、アネルカの出したマイナスのパスに反応したアンリが反転シュート、同点弾をネットに突き刺した。これで勢いづいたフランス相手にポルトガルは防戦一方、厳しいマークに動きを封じられたルイ・コスタも途中交代を余儀なくされた。

それでも両キーパーの好守により追加点を許さず、試合は1-1のまま延長に突入する。延長後半の117分、ヴィルトールの放ったシュートがDFシャビエルの手に当たり、主審はフランスにPKを与える。ポルトガルは故意によるハンドではないと猛抗議を行うも、一旦下った判定が覆ることはなかった。

このPKをジダンが思いっきりネットに突き刺し、フランスが土壇場で貴重な決勝点、ポルトガルはベスト4敗退となった。この判定に憤慨したフィーゴはPKを見ずにピッチを去り、執拗な抗議を続けたヌーノ・ゴメスには、大会後に8ヶ月の出場停止という重い処分が科せられた。

01年に移籍したACミランでの最初のシーズン、開幕直後に負った怪我により満足する働きを見せることが出来なかった。翌02-03シーズンは調子を取り戻し、コッパ・イタリア優勝とチャンピオンズリーグ制覇の2冠獲得に貢献、出場権を得たスーパーカップでもモウリーニョ監督率いるポルトを1-0と下した。

02年6月、激戦となった欧州予選で強豪オランダを退け、ポルトガルは4大会ぶりとなるWカップ・日韓大会への出場を果たした。だがG/Lの初戦ではアメリカ相手に2-3の思わぬ黒星。続くポーランド戦で先発を外れたルイ・コスタは、後半60分から途中出場、3-0とリードした終盤の88分に駄目押しとなる4点目を決めた。

決勝T進出を懸けた最終節の韓国戦では2人の退場者を出してしまい、朴智星にゴールを決められ0-1の敗戦。この試合ルイ・コスタの出番もなく、ポルトガルはあっさりグループ予選敗退となり、国民の期待を裏切る結果となってしまった。

03-04シーズン、ブラジルのカカーがミランに入団。推進力と得点力に優れる若きスターにトップ下のポジションを奪われ、中盤底にコンバートされたアンドレア・ピルロにも司令塔の役割を受け渡す形になりった。31歳となったルイ・コスタの出番は減っていったが、それでも不満を漏らすこともなく、むしろカカーの良きアドバイザーとなって成長の手助けをしたという。

04年6月には自国開催のユーロ04に出場。ポルトガルはG/L初戦のギリシャ戦で予想外のリードを許し、ルイ・コスタはポルトの司令塔デコとの交代を告げられることになる。試合は後半のロスタイムに弱冠19歳のエース、クリスティアーノ・ロナウドが1点返すが、ポルトガルは1-2と痛い敗戦を喫してしまった。

続くロシア戦は先発落ち。それでも途中出場でゴールを挙げ、2-0の勝利に貢献する。最終節は出番がなかったものの、ヌーノ・ゴメスのゴールで1-0と辛勝、ホスト国ポルトガルは無事ベスト8に進んだ。

イングランドとの準決勝は、ポスティガとオーウェンがそれぞれゴールを挙げ、1-1の同点で延長に突入。延長後半の110分に途中出場のルイ・コスタがドリブルからのミドルシュートを決め、ポルトガルの勝利が近づいたかに思えた。だがその5分後、イングランドのCKからランパードが同点弾、試合は2-2の振り出しに戻った。

PK戦にもつれた戦いは、イングランド1人目のベッカムがキックを外すも、ポルトガル3人目のルイ・コスタも失敗。両チーム5人が終わっても決着がつかず、サドンデスへ突入する。そしてイングランドの7人目、バッセルのPKをGKリカルドが素手で阻止。そのリカルドがポルトガルの7人目に手をあげ、PKを成功させて死闘を制した。

準決勝のオランダ戦はルイ・コスタ抜きで2-1の勝利、ポルトガルはついに決勝へ進んだ。決勝はG/Lで敗れたギリシャとの再戦。リベンジを期して一方的に攻めるポルトガルだが、ギリシャの堅守を打ち破れず、57分にCKからの先制点を許してしまう。

直後の60分にルイ・コスタが投入されるが、ゴール前を固めるギリシャの守備に阻まれ、最期まで得点を奪うことが出来ずに終了した。こうして伏兵ギリシャが国際舞台で初栄冠、ポルトガルの悲願達成はならなかった。

この大会を最期にルイ・コスタは代表を退き、「ゴールデン・ゼネレーション」の時代は終わりを告げた。11年の代表歴で94試合出場、26ゴールを記録している。

06年、12年を過ごしたイタリアを離れ古巣のベンフィカに復帰。その後2シーズンをプレーし、08年5月のシーズン最終戦をもって36歳で現役を引退した。ベンフィカでは121試合に出場して18ゴール、セリエAでは339試合に出場して42得点の成績を残す。引退後はベンフィカのテクニカル・ディレクターを務めている。

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