《 サッカー人物伝 》 ポール・スコールズ

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「中盤の万能マシン」 ポール・スコールズ ( イングランド )

どんなプレーも簡単に見せてしまう技術の高さで、玄人好みの識者をうならせた万能選手。168㎝の小柄な身体ながら無尽蔵のスタミナを持ち、中盤で必要とされるスキルを高い次元で兼ね備えたイングランド最高のMFが、ポール・スコールズ( Paul Scholes )だ。

デヴィッド・ベッカムやライアン・ギグスら「ファーギーズ・フレッジリングズ(ファーガソンのひな鳥たち)」の一人としてマンチェスター・ユナイテッドの黄金期を支え、98-99シーズンは中心選手としてプレミアリーグ、FAカップ、チャンピオンズリーグのトレブル(3冠)達成に大きく貢献する。

イングランド代表では98年と02年のWカップに出場し、主力として活躍。その高いスキルと戦術眼、好守で魅せるオールラウンドな能力は、グアルディオラ、シャビ、イニエスタ、ジダン、ピルロ、ダーヴィッツなど、中盤の名手たちにも絶賛された。

「クラス・オブ92」の世代

スコールズは1974年11月16日、マンチェスターの近郊都市サルフォードに生まれた。生後まもなく住宅地区ラングレーに引っ越し、地元のジュニアチームで本格的にサッカーを開始。スクールチームでのプレーがスカウトの目に止まり、14歳でマンチェスター・ユナイテッドの下部組織に加わった。

高校を卒業した91年にユナイテッドと練習生契約を結び、93年のFAユースカップで準優勝。そこで溢れる才能を見せたスコールズは、前年度優勝メンバーのベッカム、ギグス、ガリー・ネビル、ニッキー・バットらとともに「クラス・オブ92」と呼ばれるようになる。

93年7月にプロ契約を結び、翌94年9月のカップ戦、ポートベールトとの試合でトップチームデビュー。いきなり2ゴールを挙げて勝利に貢献した。そして3日後のイプスウィッチ戦でプレミアデビュー、試合は2-3と敗れたものの、ここでも初ゴールを記録した。

94-95シーズンは17試合に出場して5ゴール。95-96シーズンはマーク・ヒューズの移籍やカントナの長期出場停止処分などのチーム事情でFWとして出場する機会が増え、26試合で10ゴールの好成績を記録、ユナイテッドもリーグ優勝とFAカップ優勝の2冠を果たした。

96-97シーズン、チームはプレミアリーグを連覇。97-98シーズンは負傷離脱したロイ・キーンに代わって中盤に下がり、ゲームをコントロールする役目を担った。この年はメジャータイトル無冠に終わったが、「クラス・オブ92」の世代が主力を占めるようになり、チームは黄金期の第2章に向かって動き始めていた。

スコールズはシャドーストライカーとして、或いはゲームメイカーとして攻撃をリード、時には強烈なミドルシュートで相手ゴールを脅かした。またその豊富な運動量で守備にも多大な貢献を見せるなど、中盤のあらゆるポジションで高い能力を発揮する。

ワールドカップ・フランス大会

97年5月、オールド・トラッフォードで行われた親善試合、南アフリカ戦でフル代表デビュー。2-0の勝利に貢献している。このままWカップ欧州予選にも参加し、9月のモルドバ戦でAマッチ公式戦初ゴールを記録した。

98年6月、Wカップ・フランス大会が開幕。23歳のスコールズは、ユナイテッドのチームメイトであるベッカムやガリー・ネビルと共に初出場を果たす。G/Lの初戦はチュニジアと対戦。前半の40分に主将のアラン・シアラーが頭で先制。終了間際にもポール・インスからのパスを受けたスコールズが右隅に追加点を決めて、2-0の快勝を収めた。

第2戦は “ワンダーボーイ” オーウェンにゴールが生まれるも、ルーマニアに1-2の敗北。最終節では、ベッカムの25mフリーキックでコロンビアを2-0と下し、グループ2位で決勝Tに勝ち上がった。

トーナメント1回戦でアルゼンチンと対戦。試合は前半を終わって2-2の激戦となるが、後半の47分にシメオネへのファールでベッカムが一発退場、イングランドは劣勢を強いられる。

それでも守備陣の奮闘で延長・PK戦に持ち込むが、イングランド5人目バッティが止められて敗退となってしまった。それでも4試合にフル出場し、オールラウンドな働きでチームを支えたスコールズは、早くも代表に欠かせない存在となった。

トレブル達成

98-99シーズン、ユナイテッドは2季ぶりにリーグ戦を制覇。さらにFAカップとチャンピオンズリーグも、激戦を勝ち抜いて決勝へ進出する。

FAカップ決勝はニューカッスルと対戦。開始11分、ベッカムのリスタートからスコールズがゴール前に展開、そこからシェリンガムの先制点が生まれた。そして後半の53分、シュリンガムのパスを受けスコールズがミドルシュート、2点目を叩き込んで優勝を決めた。

さらにFAカップ優勝を決めた4日後の5月26日、カンプノウ・スタジアムで行われたチャンピオンズリーグ決勝でバイエルン・ミュンヘンと対戦。この試合で「カンプノウの奇跡」と呼ばれる劇的勝利を収め、ユナイテッドはクラブ初のトレブルを成し遂げる。

累積警告でこの決勝には出られなかったスコールズだが、準々決勝のインテル戦で貴重なアウェーゴールを挙げるなど、チャンピオンズリーグ優勝と3冠達成に大きな役割を果たした。

アルゼンチン戦勝利の殊勲者

代表でもスコールズの活躍は続き、99年3月に行われたユーロ2000グループ予選のポーランド戦でハットトリックを記録。グループ2位どうしで争ったスコットランドとのプレーオフでは、敵地で行われた第1レグで勝負を決定づける2得点を挙げ、イングランドを本大会出場に導いた。

00年6月、ベルギー・オランダ共催のユーロ2000が開幕。初戦のポルトガル戦はスコールズが先制点を決めるも、その後フィーゴら「黄金世代」の反撃に遭い、2-3の逆転負けを喫する。第2戦はシアラーのゴールで強敵ドイツに1-0と勝利、しかし最終節でルーマニアに2-3と敗れて、ベスト8進出を逃してしまった。

02年6月、Wカップ・日韓大会に出場。G/L初戦でスウェーデンと1-1と引き分けたあと、第2戦で因縁のアルゼンチンと対戦、スコールズは左サイドで先発した。立ち上がりはややアルゼンチンの流れ、司令塔のベロンを中心に丁寧なパス回しから好機を窺った。

19分、イングランドMFのハーグリーブズが負傷退場。代わりに投入されたシンクレアが左サイドに入り、中央にポジションを移したスコールズがゲームをコントロールする。するとイングランドの攻撃が活性化、両サイドを広く使った攻めで反撃に出た。

そして前半終了直前の44分、Pエリアで仕掛けたオーウェンが倒されPKを獲得。これをキャプテンのベッカムが低い弾道のシュートで決め、前回一発退場となった雪辱を果たした。後半アルゼンチンの激しい攻撃に防戦一方となるイングランドだが、集中力を切らさない守りで耐え抜き、1-0の勝利を収めた。

この試合、好守にわたる活躍で勝利に貢献したスコールズは、マン・オブ・ザ・マッチを獲得。「死のグループ」と呼ばれた激戦区を2位で突破すると、決勝T1回戦でデンマークを3-0と撃破、ベスト8に進んだが、準々決勝でブラジルに0-2と敗れてしまった。

代表からの引退

01-02シーズン、ベロンがユナイテッドに加入。そのベロンが中盤で司令塔の役割を担うようになると、スコールズはワントップに張るファン ニステルローイの後ろでセカンドストライカーを務める。02-03シーズンはリーグ戦14ゴール、カップ戦4ゴール、CLで2ゴールを決め、キャリアハイとなる公式戦20ゴールを記録した。

03-04シーズンのFAカップでは、準決勝のアーセナル戦で貴重な決勝点を挙げチームの決勝進出に貢献。ユナイテッドは決勝でミルウォールを3-0と破り、またもタイトルを重ねた。翌04-05シーズンもFAカップの決勝に進み、アーセナルと対戦。試合は0-0でPK戦にもつれたが、スコールズただ一人止められて、2年連続の栄冠を逃してしまった。

04年にはポルトガルで開催されたユーロ04に出場。スコールズはベッカム、ジェラード、ランパードと中盤を形成するが、そのポジションは左サイドでの補助的役割。イングランドは大会ベスト8入りを果たしたが、不満を抱いたスコールズは代表からの引退を宣言した。

その後いくたびか代表への復帰を打診されるも、スコールズは「家族との生活を優先する」との理由でその要請を断り続ける。結局29歳で代表を退いた形となり、7年間で66試合に出場、14ゴールの記録を残した。

ユナイテッドでの記録

05-06シーズン、目が霞むという視力障害を患ってしまったスコールズは後半戦を棒に振り、一時は引退も噂された。シーズンの最終戦で復帰を果たすが、視力障害が完全に回復することはなかったと言われている。それでも06-07シーズンは公式戦40試合に出場して、PFA年間最優秀選手にも選ばれている。

30歳を過ぎても活躍を重ねたスコールズは、08年にチャンピオンズリーグ100試合出場を達成。イングランドのサッカー殿堂入りも果たした。この年の12月にはFIFAクラブワールドカップ出場のため来日し、準決勝のガンバ大阪戦では先発メンバーとしてピッチに立った。

09年には公式戦600試合出場を達成し、10年にチャンピオンズリーグ25ゴール、プレミアリーグ100ゴール、公式戦通算150ゴールを記録。8月にはプレミアリーグ月間最優秀選手賞も受賞した。シーズン終了後の11年5月に現役引退を表明、その後もユナイテッドにはコーチとして残ることが発表された。

しかしその引退から半年後の12年1月8日に現役への復帰が発表され、同日のマンチェスター・シティ戦で途中出場を果たした。12年9月のウィガン戦で700試合出場を達成、自らもゴールを決めて4-0の勝利に貢献している。

警告カード・コレクター

13年5月、今度こそ最期となる現役引退を発表。マンチェスター・ユナイテッド一筋の20年間で、リーグ優勝11回、FAカップ優勝2回、CL優勝2回、世界クラブ王者2回など、全29冠のタイトルをキャリアに刻んだ。

その輝かしい経歴の一方、負けん気の強さと体格のハンディをカバーするためか、スコールズはファールの多い選手として知られた。引退するまでに貰ったイエローカードは97枚(プレミア史上3位)、レッドカードを4回受けている。

代表でも、聖地ウェンブリー・スタジアムで最初に退場処分を受けた母国選手という不名誉な経歴を持ち、CLでの警告32回はセルヒオ・ラモスに続く歴代2位。アーセナルのベンゲル監督からは「ファールが多いという点だけ、残念だった」と評された。

引退後はサッカー解説者に転身し、辛口コメントで人気を博した。15年には「クラス・オブ92」のメンバーが経営するサルフォード・シティで監督代行を務め、19年に下部リーグに所属するオールドダム・アスレティックの監督に就任。しかし7試合で1勝しか挙げられず、オーナーとも対立して1ヶ月後に辞任している。

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