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平成の三四郎 古賀稔彦さん死去

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背負い投げの名手

92年のバルセロナオリンピックで柔道金メダルを獲得。背負い投げを得意とし「平成の三四郎」として知られた古賀稔彦さんが、24日の朝亡くなった。

古賀さんは一昨年にガンが発覚、昨春から闘病生活が始まり、6月に手術を受けて川崎市の自宅で療養に務めていたという。享年53歳だった。

重傷を負いながらの金メダル

1967年福岡県生まれ、佐賀県育ち。小学校1年から柔道を始めて、中学校時代に上京、柔道私塾の「講道学舎」に入門する。

全国大会優勝などタイトルを重ねて頭角を現すと、その後は日本体育大学に進み、169㎝の小柄ながら切れ味鋭い技と、豪快な一本背負いで「平成の三四郎」の異名をとるようになった。

90年には、71㎏級の軽量で体重無差別の全日本選手権に出場。重量級の選手を次々と打ち破って、決勝に進出する。

決勝では当時世界チャンピオンの小川直也に一本負けしたが、「柔よく剛を制する」を体現することになった。

88年にはソウルオリンピックに初出場するも、金メダルを期待されながら3回戦敗退を喫し、初の挫折を味わう。リベンジを誓って望んだ92年のバルセロナオリンピックでは、大会直前、吉田秀彦選手との稽古中に左膝靱帯を痛め重傷、試合出場さえ危ぶまれる状態となった。

それでも痛み止めを打ちながら試合に臨み、トレーニングが出来ない中過酷な減量にも耐え、強靱な精神力で金メダルを勝ち取る。胃に穴が開く程の重圧があったそうだ。

96年のアトランタオリンピックでは銀メダルを獲得。2000年に現役を引退してからは指導者となり、後進の育成や柔道の普及に尽力。2大会金メダルの谷本歩実らを育てた。

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