《 サッカー人物伝 》 ジネディーヌ・ジダン(後編)

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「物静かな闘将」 ジネディーヌ・ジダン ( フランス )

前編「レ・ブルーの新将軍」より続く

2001年7月、29歳となったジダンはスペインの名門レアル・マドリードに移籍する。ラウルフィーゴ、ロベルト・カルロスといった人気選手に加え、世界最高の司令塔を得たクラブは世界の注目の的。ファンクラブの申し込み電話はパンク状態となり、ジダンが背負う5番のレプリカユニフォームは売れに売れた。

そういった世間やマスコミの狂想曲に巻き込まれ、最初はコンディションを崩してしまったジダンだが、次第にチームへ慣れるにつれ調子を上げていく。

しかし01-02シーズンのコパ・デル・レイは決勝でデポルティーボに敗れ、リーグ戦はバレンシアに優勝をさらわれ3位に終わってしまった。大金を投じた補強に見合わないチーム成績に、批判の声が聞こえてくるようになる。

伝説のボレー弾

だがチャンピオンズリーグの決勝トーナメントで、その汚名をそそぐチャンスがやってくる。準々決勝で前年チャンピオンのバイエルン・ミュンヘンを、準決勝ではライバルのバルセロナを下して、レアルは決勝へ進んだ。

決勝を戦うのはドイツのレバークーゼン。開始9分、ロベカルのスルーパスに抜け出したラウルが先制点。だがその5分後、シュナイダーのFKからルシオにヘディングシュートを叩き込まれ、同点とされてしまった。

だが前半終了直前の45分、ロベカルが蹴ったクロスが高く舞い上がり、垂直に落下するボールを、ジダンが測ったかのような左足キックでジャストミート。美しいボレー弾が決まった。

これが決勝点となりレアルが2-1の勝利。ジダンは初めて欧州クラブチャンピオンのタイトルを手にし、その名声を完璧なものにした。

日韓W杯の屈辱

02年6月、Wカップ日韓大会が開幕。優勝候補の筆頭に挙げられたフランスだが、ジダンは大会直前に韓国との親善試合で大腿部を負傷し、グループリーグの出場が難しくなってしまった。

それでも開幕戦の相手は初出場のセネガル。強力なタレントを揃えるフランスには簡単な相手のはずだった。しかし結果は0-1の敗戦、司令塔の不在とチームの慢心が招いた結果だった。

第2戦はウルグアイとスコアレスドロー、しかもアンリがラフプレーで次戦出場停止となり、フランスは絶体絶命のピンチに追い込まれた。

最終節のデンマーク戦、ジダンはこの緊急事態に、太ももへ分厚いサポーターを巻いて強行出場をする。G/L突破には2点差以上の勝利が必要だったフランスだが、22分に先制され、67分にもトマソンの追加点を許し、万事休すとなった。

0-2と敗れたフランスは予想外のG/L敗退。強行出場したジダンも完調とはほど遠い状態だった。トラップに失敗して、身体を支えきれずに転倒するというシーンも繰り返しテレビで流され、失望と屈辱だけが残る大会となってしまった。

スター軍団の高齢化

02-03シーズン、W杯王者ブラジルのロナウドがレアルに入団、チームは2季ぶりのリーグ優勝とトヨタカップ制覇を果たす。翌シーズン、人気者のベッカムが入団。「ギャラクティコ(銀河系軍団)」はいよいよその偉容を増した。

しかし前線ばかりに比重が偏り、イエロやマケレレら守備の要を放出したことで、チームは攻守のバランスを欠いていく。03-04シーズンは終盤に失速してリーグ4位。メジャータイトル無冠に終わり、「ギャラクティコ」も高齢化による衰退期を迎えようとしていた。

04年6月、ユーロ04・ポルトガル大会に出場、G/L初戦でイングランドと対戦する。前半の38分、ベッカムのFKからランパードが頭で合わせイングランドが先制。後半の73分、ルーニーを倒してPKを与えるが、ベッカムのシュートはGKバルデスが防いだ。

試合はこのまま90分を過ぎ、イングランドが勝利を得たかに思えた。だがロスタイムの1分、ジダンが見事なFKを決めて同点。その2分後、ランパードの不用意なバックパスを奪ったアンリがGKに倒され、フランスがPKを獲得する。

キッカーはジダン。冷静にシュートを決め、2-1の逆転勝利。終了時間を目前に、勝ち星を失ったイングランドを呆然とさせた。

第2戦のクロアチア戦は、ジダンのFKがオウンゴールを呼びフランスが先制。しかし試合は2-2の引き分けに終わってしまった。最終節はスイスと対戦、前半の20分にジダンのヘディングゴールで先制し、そのあとアンリが2点を決めて3-1の勝利。グループ1位でベスト8に勝ち上がった。

準々決勝はギリシャとの試合。人数をかけたマークにジダンは動きを封じられ、フランスの攻撃陣も低調。伏兵ギリシャに0-1の思わぬ敗戦を喫してしまった。

ギリシャが初優勝を果たした大会終了後の7月、ジダンは代表からの引退を表明。そのあとデサイー、リザラス、テュラム、マケレレ、ピレスらWカップ98ユーロ2000を制覇したメンバーも次々と代表を去って行った。

「新将軍」の代表復帰と引退発表

レアルは04-05、05-06シーズンとタイトル無冠、王者の座をライバルのバルセロナに奪われてしまった。スター選手ばかり優遇される状況にチームの和は乱れ、4人もの監督が次々に交代する迷走状態。ジダンも最後の3年間は故障を繰り返し、「ギャラクティコ」は輝きを失っていく。

黄金期のベテランが抜けたフランス代表は、Wカップ欧州予選で大苦戦。この危機に協会関係者、国民、マスコミ、スポンサー、さらにはシラク大統領までがジダン待望論を唱えた。その圧力に押され、ジダンは05年8月にマケレレ、テュラムとともに代表への復帰を発表する。

9月3日のフェロー諸島戦で代表復帰。怪我の影響と体力の衰えで必ずしもジダンの調子は良くなかったが、求心力を得たフランスは残り試合で勝ち点を重ね、無事Wカップ本大会への出場を果たした。

06年4月25日、リーガ・エスパニョーラのシーズン終了を前に、ジダンはWカップ大会終了をもっての現役引退を表明する。ユベントスとレアルではそれぞれ5年間在籍。名門クラブでリーグ優勝3回、チャンピオンズリーグ優勝1回、トヨタカップ優勝2回など数々のタイトルを手にした。

Wカップ決勝までの道のり

06年6月、Wカップ・ドイツ大会が開幕。G/L初戦のスイス戦は、攻撃陣が噛み合わず0-0の引き分け。次の韓国戦はアンリのゴールで先制するも、終盤の81分に朴智星の同点ゴールを許してしまい、またもや1-1と引き分ける。

最終節のトーゴ戦は、イエロー2枚でジダンが出場停止。35歳の誕生日に行われた試合を、ロッカールームのモニターで見届けた。試合はヴィエラとアンリのゴールで2-0と勝利し、グループ2位での勝ち抜けを決めた。

トーナメント1回戦は、G/Lを全勝で勝ち抜き、勢いに乗るスペインと対戦。前半28分にビジャのPKで先制点を奪われてしまうが、41分にリベリーのゴールで追いつく。

同点のまま進んだ後半の83分、ジダンのFKからヴィエラが勝ち越し弾。さらにロスタイムの92分、左サイドをドリブルで進んだジダンが、プジョルをかわし強烈なシュート。ダメ押し点を決めて3-1の逆転勝利に貢献する。

ジダンの復調でフランスもようやく本領発揮。人望のない変人ドメネク監督に代わり、白人系と移民系を繋ぐジダンの存在が、チームの求心力となっていた。

準々決勝の相手は、ロナウド、ロナウジーニョ、カカー、アドリアーノの攻撃陣「カルテット・マジコ」を擁するブラジル。

この日のジダンは、まるで最盛期を思わせるようなプレー。巧みなパスと完璧なボールコントロールでカナリア軍団を翻弄し、相性が悪いと言われたアンリとも見事な連携を見せた。

後半の57分、ジダンの蹴ったFKをアンリがボレーで合わせて先制。強固な守備陣もブラジルの反撃を枠内シュート1本に抑え、1-0の勝利。スコア以上の内容で前回王者を圧倒し、準決勝へ進んだ。

準決勝で対戦したのはポルトガル。序盤は一進一退の展開が続くが、前半の32分にアンリが倒されフランスがPKを獲得。ダイビングとも取れなくない微妙な判定に、ポルトガルの選手は猛抗議を行う。

もちろん判定が覆ることはなく、ジダンが確実にPKを決めてフランスが先制。ユーロ2000決勝でのPKのトラウマを抱えるポルトガルは、ことあるごとに判定に不服を唱えるなど、ナーバスになっていった。

このあと、フィーゴの配球とクリスティアーノ・ロナウドのドリブル突破で打開を図るポルトガルだが、ヴィエラ、マケレレ、テュラムら守備陣が冷静に対処。最後まで落ち着いた試合運びで1-0と逃げ切った。

こうしてフランスが決勝へ進出。ジダンには4年前の屈辱を晴らす機会と、引退の花道を飾る舞台が用意された。

カリスマの退場

決勝はイタリアとの戦い。開始7分、マテラッツィのファールでフランスにPKが与えられる。これをジダンが “パネンカ” と呼ばれるチップキックで決め、フランスがリードする。

イタリアは反撃を開始、レジスタのピルロが深い位置から正確なロングボールで攻撃陣を操り、たびたびフランスゴールを脅かした。

19分、ピルロの右CKからマテラッツィが頭で合わせて同点。勢いを得たイタリアの時間が続くが、1-1のまま前半を折り返す。しかし後半に入ると形勢は逆転、フランスが再三のシュートチャンスを得るも、ブッフォンの牙城は崩せなかった。

後半56分、ヴィエラが負傷退場。一方イタリアも精彩を欠くトッティが61分に交代する。このあと試合は膠着状態となり、スコアは動かず延長戦へ突入した。

延長の前半はフランス優勢。99分にはリベリーのシュートがゴールポストをかすめ、104分にジダンの放ったヘディングシュートは、ブッフォンのビッグセーブに弾かれてしまった。

延長後半の110分、マテラッツィの挑発に乗ったジダンが、頭突きによる報復行為で一発退場。ジダンにとってこれがキャリア14枚目、そして最後のレッドカードとなる。こうしてフランスの英雄は、思わぬ形で現役生活の幕を引くことになった。

このあと試合はPK戦となり、3人目のトレゼゲが外して、栄冠はフランスの手をすり抜けていく。ジダンは代表の12年で108試合に出場、31ゴールの記録を残した。

世界の名将

引退したとはいえ、ジダンには3試合の出場停止処分(後に社会奉仕活動に軽減)と、4800ユーロの罰金が科せられた。またマテラッツィも「度重なる挑発行為」で、2試合の出場停止処分を受けている。

引退後はテレビ解説者を努めるなどしていたが、09年6月にレアルのクラブアドバイザーに就任したことから、指導者の道を歩み始める。

そのあとアシスタントコーチ、レアルBチームの監督を経て、16年1月に成績不振で解任されたベニテスの後任を引き受け、レアル・マドリードの監督に就任する。

1月9日の監督デビュー戦(対ラ・コルーニャ)を5-0の快勝で飾ると、4月2日に行われたカンプノウの「エル・クラシコ」で2-1の勝利。バルセロナの39試合無敗記録をストップした。

5月28日のチャンピオンリーグ決勝では、アトレティコ・マドリードをPK戦で下してビッグイヤーを獲得、リーグ戦でも不振にあえいでいたレアルを2位に押し上げた。

特に斬新な戦術を駆使するわけではないが、選手の能力・特色を見極め、適材適所で働かせる眼力と手腕は当代随一。クリロナ、ベンゼマ、ベイル、モドリッチとスターが揃うレアルでも選手との信頼関係が厚く、チームにモチベーションを与えて勝利を重ねた。

このあとチャンピオンズリーグを3連覇、16-17シーズンのラ・リーガも制した。他にも、16年、17年のUEFAスーパーカップ制覇とFIFAクラブワールドカップ連覇を達成、サッカー界を代表する名将となった。

17-18シーズン終了後にチームを退任するも、チームの不振を受けて19年3月に監督復帰。コロナ禍による中断期を経て、2度目のラ・リーガ優勝を成し遂げている。

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