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テレビ演芸の名プロデューサー、澤田隆治さん死去

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バラエティー界の名プロデューサー

『てなもんや三度笠』『新婚さんいらっしゃい』を始めとする人気番組を数多く手がけ、80年代漫才ブームの火付け役としても知られる、名プロデューサーの澤田隆治(さわだ・たかはる / りゅうじ)さんが16日、東京都内の病院で亡くなった。

3月に心筋梗塞を発症、入院中だったとのこと。以前から糖尿病も患っていたという。享年88歳。

澤田さんは、1933年(昭和8年)3月18日生まれの大阪府吹田市出身。1955年に神戸大学卒業し、当時ラジオ局だった大阪・朝日放送に入社。もとからのお笑い好きで入社当初から漫才、落語、浪曲などのラジオ演芸番組を担当する。

その後、系列の大阪テレビ(のち合併してABC)に出向。昭和36年には脚本家・香川登志緒さんとのコンビで、公開収録のテレビ・コメディ『スチャラカ社員』(61~67年)の演出を手がけ、ヒット番組に育てる。

『てなもんや三度笠』の大ヒット

昭和37年にも香川さんとコンビを組んだ『てなもんや三度笠』(62~68年)が、平均視聴率30%を稼ぐ爆発的大ヒット。主役の藤田まことを始め、白木みのる、財津一郎といった出演者は一躍人気者となり、「あたり前田のクラッカー」「許してチョーダイ」などの流行語も生んだ。

そのあとも、公開収録のコメディやバラエティー番組を次々とヒットさせていった澤田さん。とにかくタレントには厳しく、リハーサルのギャグ指導だけに30分、1時間かけるのは当たり前。「勉強足りまへんな」「アンタ下手ですね」と遠慮呵責ない物言いで演者を縮み上がらせ、関係者から ”魔王“ と呼ばれていたという。

昭和40年代初め頃には、香川さんとの間に心理的行き違いが生じてコンビを解消。『てなもんや三度笠』は澤田さん抜きで続けられることになり、人気は衰えていた。

漫才ブームの火付け役

昭和46年に『新婚さんいらっしゃい』(71年~)の立ち上げに関わったあと、しばらくバラエティーの現場から離れる。74年には東京の番組製作会社《東阪企画》に活動の拠点を移し、日本テレビ『ズームイン!!朝!』(79~01年)の企画にも参加している。

昭和54年には、関西で培ったお笑いのノウハウや人脈を活かして『花王名人劇場』(79~90年)のプロデュース・演出を担当。この番組の企画で やすし・きよし、B&B、星セント・ルイスらが演じた漫才が評判を呼び、昭和55年にはそれに刺激を受けたフジテレビの新時代演芸番組『THE MANZAI』(80~82年)が始まる。

そこから80年代初めの「漫才ブーム」が巻き起こり、ツービート、明石家さんま、伸助・竜助、阪神・巨人といった人気芸人が誕生。現在も続く芸人バラエティーの隆盛に繋がっている。

晩年になっても放送・演芸に関わる啓蒙・執筆活動を旺盛にこなし、最後までテレビ人としての姿勢を貫いた人生だった。

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