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「千鳥のスポーツ立志伝」遠藤保仁

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先が読めて空気を読まない鉄人

一流アスリートのクセを深掘りする、BS1『千鳥のスポーツ立志伝』。今週は【先が読めて空気を読まない鉄人~ Jリーグ・遠藤保仁選手 ~】の回。

タイトルの通り、今回掘り下げるのはサッカーJ1の最多出場記録を持つ、41歳の遠藤保仁選手(現J2ジュビロ磐田)。持ち味は先を読んだ変幻自在のパス。その一方で、空気を読まない “KY”ぶりでも有名。

遠藤選手と千鳥の2人は同い年。大悟「遠藤世代と言うもんな、わしらは」の先制攻撃に、「サッカー界では千鳥世代って言ってますよ」と、モニター画面の遠藤さんが鮮やかなカウンターで対抗。

「“K Y” すぎるよ!ヤットさん」

最初に深掘りするのは、“キャラのクセ”、そのお題は「“K Y” すぎるよ!ヤットさん」。ノブの「K Yって自覚、あります?」の問いかけに「いやないですよ」と答えるヤットさんだが、関係者たちがそのスゴクセを紹介。

① 大渋滞を引き起こす低速運転 ② ハーフタイムの入浴と、全裸でのミーティング参加  ③  遠征合宿での省エネすぎる荷物 ④ 校内マラソン大会はチンタラ走り、と次々に明かされるヤットさんのK Yエピソード。

鹿児島実業の後輩である杉内俊哉投手(現巨人コーチ)は、「(WBC後の食事会で)自分はキレイに畳んで袋に入れたユニフォームを渡したのに、ヤットさんからはクシャクシャのままのヤツを渡された」と証言。

さらには杉内投手から貰ったWBCの記念ボールを、足裏マッサージに使っているというK Yさに、「ある意味大悟のボケより、酷くないですか?」とノブ。だがどこまでもマイペースなヤットさんは、気にする様子もない。

ここで心理学者の出口保行さんが登場し、「遠藤さんのは空気が読めない “K Y” ではなくて、空気を読まない“K Y” 」と分析。「これには遠藤さんなりの理由がある。要するに、目的のためには無駄な忖度をしない」と説明する。

さらにヤットさんの持つもう一つのK Yは、「危険予知」。自動車をゆっくり運転するのも、ハーフタイムにお風呂に入ってクールダウンするのも、危険を避けるためのもの。出口さんの「リスク回避のために危険を予知する能力が高い」の解説には、ヤットさんも「やっぱ いいところをついてますね」と、我が意を得たりの表情。

「色々見えすぎちゃう!“ピッチ上の棋士”」

次に掘るのは “技のクセ”、そのお題は「色々見えすぎちゃう!“ピッチ上の棋士”」。ボランチとして多彩なパスを操り、攻守でチームを支える “かじ取り役”のヤットさん。「常に先のことを考えながら、シンプルにやるようにしている」のが彼のプレースタイルだ。

チームメイトの今野泰幸選手は、「判断が速い。(先を読むのは)僕らは2個先、よくて3個先だが、ヤットさんは10手先まで見ている」と証言。刻一刻とプレーが動く中、ヤットさんは素早い判断で先を読んだパスを選択。まさにそれは、常に最善手を打ち続ける将棋の強豪棋士の姿。

その “先読み” のルーツは、故郷・桜島でのサッカースポーツ少年団時代。ドリブルと監督の「指足し算」を同時に行うという練習を重ね、足元を見なくてもボールが扱えるようになり、とてつもなく視野が広がったというヤットさん。色々見えるようになったことが、先を読むプレーに繋がったとのこと。

鹿実時代の先輩、前園真聖さんは「2人の兄貴の影響がすごく大きいんじゃないですか」と証言。長男(6歳上)の拓哉さんは前園さんの同級生。エースの座を争った前園さんが「当時の鹿実はあいつのチームだった」と言うほど、上手い選手だったそうだ。

そして次男(4歳上)の彰弘さんは、前園さんと同じアトランタ五輪で「マイアミの奇跡」を起こしたチームの10番。「あの2人の兄貴がいたら、やっぱりあれくらいの素質になりますよね」とは前園さんのコメント。

「“楽する人” から “楽させる人” へ」

最後の “立志クセ” のお題は、「“楽する人” から “楽させる人” へ」。日本代表とJ1で最多出場記録を持つ “鉄人”、遠藤保仁選手。 でも高校時代はそのイメージと真逆の手抜き名人だったとのこと。

高校時代のチームメイトも「サボり方が上手 基本頑張らない」と証言。ヤットさん自身も「このポジション(ボランチ)が一番楽だなと思った。パスを出しとけばいいとプレーしていたので、全然動かなかった」と振り返る。

そんなヤットさんを変えたのが、鹿実時代のブラジル人コーチ、ジョゼ・カルロスさん。遠藤選手に激しさが足りないと思ったカルロスさんは、ブラジル修行を勧める。ヤットさんは短期留学したブラジルでハングリー精神を学び、帰国したときは球際に強くなっていたという。

高校卒業後に横浜フリューゲルスへ入団。2年目には早くもレギュラーの座を掴み、アンダーカテゴリーの日本代表にも選ばれるようになった。

「黄金世代」の一員として、99年のワールドユース選手権準優勝に貢献。だが2000年のシドニー五輪はメンバー落ちしてしまい、02年の日韓W杯も、同年代の小野伸二、稲本潤一、中田浩二の活躍を外から見るだけだった。

06年ドイツW杯ではメンバー入りするも、フィールドプレイヤーでただ1人出場機会なしという屈辱的な扱い。「ジーコ(監督)、蹴っ飛ばそうかなと」思うくらいの悔しさを味わったそうだ。

オシムの教え

そんな遠藤選手に飛躍のきっかけを与えたのが、06年から代表監督を勤めたイビチャ・オシム監督だった。ここで現在オーストリアに住むオシムさんが、サンタクロースのような白髭でモニター画面に登場。

オシム監督は「お前はもっと走れ、そしてもっと攻撃に絡め」とヤットさんに足りないものをズバリ指摘。「エンドウがもっと走れば、試合をコントロールすることもできる。それが仲間を楽にさせ、チームのレベルアップにつながる」と考えたそうだ。

オシム監督に「考えて走りなさい」としつこいほど言われたヤットさんは、これまでの悔しさを胸にその教えを実践。スライディングもしなかった男が、泥臭くプレースタイルを変えた。

そして10年のW杯・南アフリカ大会。ヤットさんは30歳にして初めて大舞台のピッチ立ち、カメルーン相手にDFから最前線へと奮闘。前半39分には攻撃の起点となって、本田選手の決勝点を演出する。

そして決勝トーナメント進出を懸けたデンマーク戦、そこにもチームのために走るヤットさんの姿があった。1点リードの前半30分、思い描いたようなフリーキックがキレイに決まり、勝利を引き寄せる。

この大会、日本代表の中で一番多く走ったのがヤットさん。「“楽する人” から “楽させる人” へ」となった遠藤選手に、オシムさんは「弱点を克服しようと努力し、見事な結果を残した」と高評価。

「エンドウは監督にも向いている」とオシムさん。それに「実は選手兼監督みたいなのを狙ってる」と色気を見せるヤットさん。いやもう、それは釜本さんがすでにやってますから。

最後は大悟が、遠藤選手を「サッカー界のウッチャン」と表現。その理由は「つかみどころがないけど、視野が広くてプレイヤーに楽をさせてくれる司令塔」ということだそうだ。

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