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「サッカーの園 ~究極のワンプレー~」オリンピック

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日本サッカー オリンピックの歩み

今月の東京五輪開幕を控え、今回「サッカーの園 ~究極のワンプレー~」のテーマは【オリンピック】。

スタジオのゲストにシドニー五輪メンバーの中澤佑二さんと、ロンドン五輪銀メダリストの丸山桂里奈さんを迎え、アトランタ五輪経験者の前園さんと日本五輪サッカーの歩みを振り返る。

番組2度目の出演となる丸山さん。「オリンピックはどうでしたか」と聞かれ、「みんな前を向いて緊張している」と独特の表現。そこへ前園さんが「集中していたってことでしょ」とすかさずフォロー、さすが売れっ子だけにそつがない。

トルシエ戦術キーマンは 黒子役の明神

最初のエントリーはシドニー五輪代表。中田英寿、中村俊輔、高原直泰など豪華なタレントを揃え、メキシコ五輪以来32年ぶりの決勝トーナメント進出を果たした大会だ。

このチームを語るのは、今やすっかり髭ヅラとなったトルシエ監督。専属通訳だったダバディさんと、当時の状況を振り返る。

トルシエは「豪華メンバーに見えるが、世界基準に達していたのは中田英と中村俊ぐらい。それでも組織的に守れば世界に勝てるというのが私の哲学だった」と力説。

そんな中キーマンとして挙げたのは、守備的MFの明神智和。「規律を守り 最後まで諦めずに戦う “真の兵士” だった」との高評価に、中澤さんは「規律を守るというところなんですよね、トルシエさんは」と納得の様子。

その明神さんもVTRで出場。「繋ぎのプレーと、ボールを奪ってからの展開が自分の仕事。黒子的な選手だった」と己の役割を語る。

明神さんはシドニーオリンピックに全試合フル出場、その仕事ぶりにトルシエ監督は「8人の明神と3人の天才がいればチームは完成する」と絶賛を送っている。

トルシエが求めたのは、アグレッシブな守備戦術の「フラット3」。DF3人を一列に並べ、高いラインを保ちながらボールを奪って速攻を狙うという戦術。明神は、前掛かりになる陣形の穴を豊富な運動量と守備力でカバー。トルシエの戦術に欠かせない選手だった。

シドニー五輪の『攻撃的守備からのカウンター』

そんなトルシエと明神が「究極のワンプレー」に挙げるのが、シドニー五輪予選リーグの南ア戦。前回放送の【スルーパス】でも取り上げられた後半33分の得点シーンである。

この場面、南アのロングボールをDFの中澤さんが頭でクリア。ボールはカバーに来た明神さんに渡り、繋ぎからの素早い速攻。中田のスルーパスから高原の決勝点が決まった『攻撃的守備からのカウンター』だ。

明神さんは「奪ってからシンプルで速い。手数をかけずに効率よくゴールまで行けた 本当にいいシーン」と語り、トルシエも「私の哲学を体現した美しいゴール」と自慢。

このあとトルシエと明神がリモートで対談。明神さんの「僕のどういうプレーを評価してくれたのか」の問いにトルシエは、「1つは複数のポジションをこなせること。もう一つは戦術をよく理解していたこと。本当に明神がいてくれて助かった」とお褒めの言葉。それを聞いてホントに嬉しそうな明神さんでした。

「トルシエには初合宿で速攻 髪を切れと言われた」と想い出を語る中澤さん。それには、「対応を確かめるためのジョーク」だったとコメントするトルシエさん。だが中澤さんは「ジョーク?」と疑わしそうな眼。

だが最後トルシエは中澤さんへ、「02年W杯のメンバーに選ばなくて申し訳なかった。実力的に劣っていた訳ではないが、あのときはベテランの力が必要だった」と珍しく殊勝なメッセージ。当時は微塵も思わなかったけど、実はいい人だったんですね。

マイアミの奇跡を呼んだ『日本の連動した守備』

つぎのエントリーはアトランタ五輪の「マイアミの奇跡」。選考委員長の前園さんにとっても、キャリアのハイライトとなった試合だ。

今回はこの試合を、負けた側のブラジル目線で語って貰おうという趣向。そこでVTRに登場したのは、ブラジルチームの司令塔だったジュニーニョ・パウリスタさん。

ジュニーニョさんは「正直 日本に負けるとは思っていなかった。僕らに獲ってあの試合は、“マイアミの失望” だった」と素直に想いを語る。

格下の日本は、攻撃の中心を担うジュニーニョ、ベベット、サビオの3人をマンマーク。このときリバウドはまだ無名、若きロベカルには髪の毛があったぞ。

ジュニーニョのマークを担当したのは、対人守備に強い服部年宏さん。ジュニーニョは「服部のマークはとても厳しかった。スピードがあったし フィジカルも強い。まったく自由にプレーさせて貰えなかった」とかなりの評価。

ブラジルのシュート28本に対し、日本のシュートは僅か4本。日本はチーム一丸となってブラジルの猛攻をしのぐ。後半19分には、すでに次世代エースとして名乗りを挙げていたロナウドが登場。しかしここでも服部がロナウドのドリブルをカット。そしてこの服部の守備から、あの奇跡が生まれた。

ボールを奪った服部が素早く伊東輝悦にボールを繋ぎ、城のバックパスから前園が左サイドの路木へ展開。路木が前方の大きなスペースへロングボールを放り込むと、駆け上がってきた城が突進。これがDFアウダイールとGKジダの交錯を生み、転がるボールを最後に伊東が押し込んで、劣勢の日本に得点が生まれた。

「僕らはフィニッシュが決まらず、日本がゴールを決めたときは、負けるかもしれないと思った」とその瞬間を振り返るジュニーニョ。その中で彼が最も衝撃を受けたのが、『日本の連動した守備』。

「日本は1人2人と連動した守備をしていたし、スピードもすごく速かった。その上、時間とともに進化しているのを感じた」と語るジュニーニョさん。徹底したブラジル対策で、日本はオリンピック史上最大とされる奇跡を起こしたのだ。

なでしこジャパンの『4年間磨き上げたパスサッカー』

続いてのエントリーは、銀メダルを獲得したなでしこジャパン。ゲストの丸山さんは「女子はオリンピックでメダルを獲るのが一番の目標。金メダルが欲しかったけど、それでも嬉しかった」と当時を振り返る。

フィジカルの強さで欧米勢に劣るなでしこジャパンが目指したのが、ショートパスを駆使した戦術。佐々木則夫監督はそのサッカーを推し進め、成果は08年の北京オリンピックで現れる。

予選リーグのノルウェー戦では、体格で勝る相手に5-1と会心の勝利。このあと、地元中国を打ち破って準決勝へ進出する。準決勝では強豪アメリカに敗れてしまったものの、なでしこは過去最高となるベスト4の成績を残し、世界を目指すスタート地点に立った。

12年のロンドン五輪は決勝へ進出。対戦相手は、前年のWカップ決勝を戦ったアメリカだった。

開始8分にロイドのヘディングで先制されるも、反撃に出たなでしこは幾度ものチャンスをつくった。54分にはまたもロイドに豪快なミドルシュートを決められるが、諦めない日本は磨き上げたパスサッカーで攻め続ける。

そして63分、宮間の縦パスから大野がDF裏に抜け出し、折り返しを澤がシュート。ブロックされたボールを澤が粘って繋ぐと、詰めていた大儀見(永里)がゴールへ押し込んだ。

鮮やかなパス回してDFの隙間を縫う、チームの連携が生んだなでしこらしいゴール。試合は1-2と敗れて金メダルを逃したものの、「PKで制したW杯より、アメリカに近づいた試合だった」と佐々木監督は語る。

丸山さんは、「北京五輪でウォーミングアップをせず途中出場し、まったく走れずに澤さんに激怒された」とのエピソードを披露。それはともかく、ロンドン五輪の銀メダル獲得は、なでしこの成長がつまった『4年間磨き上げたパスサッカー』の集大成となった。

ロンドン五輪の『反骨心で快進撃』

4番目のエントリーは、男子サッカーのロンドン五輪。6人の海外組を揃えながら、アジア予選での内容が悪く、前評判の低かったロンドン世代。それが却ってチームの結束を生んだ。

日本チームのエースは、当時ボルシアMGに所属していた大津祐樹選手。そんな大津選手の選んだ「究極のプレー」が、1次リーグ初戦スペインとの試合。

優勝候補のスペインには、ダビド・デヘアやコケ、イスコ、ジョルディ・アルバといった若きホープに加え、O/A枠のハビ・マルティネスやファン・マタらのタレントが揃っており、日本に勝ち目はないと思われた。

だがそんな強豪スペインに、日本は一丸となって当たっていく。前半33分、扇原の右CKから大津が身を投げ出して先制点。この1点を全員が守り切って、優勝候補を相手に大金星を挙げた。

その後日本は準決勝へ進出。大津選手も3得点でエースの働きを見せた。準決勝でメキシコ、3位決定戦では韓国に敗れてメダル獲得とはならなかったが、『反骨心で快進撃』による44年ぶりのベスト4入りを果たす。

司会の柴田さんから「海外組と国内組の融合のポイントは?」と聞かれ、中澤さんは「監督が海外組と国内組を分けないことが大事。チームで一緒の方向を見るのが一番だ」と回答。もしかしてこれは、06年W杯で惨敗したジーコジャパンの教訓か。

釜本邦茂の『This is GOAL』

最後のエントリーは、日本サッカーの原点と言える68年のメキシコオリンピック。この大会で得点王(7ゴール)の活躍を見せ、銅メダル獲得の原動力となったのが、伝説のストライカー釜本邦茂さん。

最大の武器は強烈なシュート。今も破られない代表最多記録の75得点(76試合)を誇る、日本サッカー界のレジェンドだ。

釜本さん初めてのオリンピックは、20歳で参加した64年の東京五輪。このとき1ゴール2アシストを記録したが、内容はとても満足できるものではなく、力不足を感じたという。

釜本さんは一流を目指し、メキシコ五輪の1年前、単身西ドイツへサッカー留学。そこには日本で見られないような貴重な映像が豊富にあり、釜本さんは世界トップレベルのプレーから学んでいった。

釜本さんが真似をしたのは、一流選手の止めてからシュートまでの速さ。特にポルトガルの黒豹エウゼビオのプレーを参考にした。そして映像で見た動きを繰り返し練習、自分のものにしていった。

世界を知って臨んだメキシコ五輪。釜本さんは初戦のナイジェリア戦でハットトリックを達成。準々決勝のフランス戦では2得点1アシストを記録し、勝利の立役者となった。

準決勝では、プロ同然のハンガリーチームに0-5と惨敗。日本は初のメダル獲得を懸け、地元メキシコとアステカスタジアムで3位決定戦を行った。

日本の戦術は釜本にボールを集めること。メキシコの猛攻を凌いだ17分、釜本が左サイドの杉山にボールを送り、ゴール前へ動き直し。そこからのクロスを胸トラップ、素早く左足を振り抜いて先制ゴールを決める。

今も歴史的ゴールとして繰り返し流されるシーンだが、本人いわく「当たり損ない」とのこと。「印象に残るシュートだが、会心のシュートではない」と説明する。

そこで釜本さんが「究極のプレー」として挙げるのが、2点目のゴール。39分、杉山のグラウンダークロスを、ワントラップで置いて右足の強烈なシュート。

釜本さんは「これは本当に会心の当たり。This is GOAL」と自画自賛。 前園さんも「何度見ても素晴らしいですよね。振りが速いし、やっぱり決定力が凄いや」と手放しで絶賛。

丸山さんは「シュートを決めたら、すごい腕を上に伸ばすじゃないですか。それが偉い」と独特の観点。まああのガッツポーズは、前から気になってたけど。

ということでオリンピック「究極のプレー」No.1は、釜本さんの『This is GOAL』が選ばれました。

 

すったもんだはありましたが、東京五輪はこのまま開催されそうな情勢。やるからには日本の活躍に期待したいところですね。

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