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リチャード・ドナー監督 死去

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ヒットシリーズの職人監督

「スーパーマン」シリーズや「リーサル・ウェポン」シリーズなど数々の人気作品を手がけた米映画監督のリチャード・ドナーさんが、5日にロサンゼルスで死去した。享年91歳。

ドナーさんは1930年4月24日、ニューヨークのブロンクス生まれ。父は家具製造業者だった。ニューヨーク大学で舞台芸術などを学んだあと、いくつかの舞台に立ったり、テレビドラマに出演したが、パッとしなかった。

その頃テレビドラマを演出していたマーティン・リット監督と知り合い、アシスタントとなって演出を学ぶ。28歳のときに俳優としてロサンゼルスに移り、演出家に転向した。

『スーパーマン』の世界的大ヒット

そしてスティーブ・マックイーンの出世作となった『拳銃無宿』を始め、『ミステリー・ゾーン』『刑事子コジャック』『弁護士プレンストン』『FBI』など、人気テレビドラマシリーズの演出を手がける。

62年から劇場用映画にも進出したが芽が出ず、有能なテレビ演出家にとどまっていた。だが75年のスペシャルドラマ『青い渇き』が画期的な作品として高い評価を受け、『オーメン』(76年)の監督を任される。すると『オーメン』は大ヒットを記録、『スーパーマン』(76年)の監督抜擢に繋がっていく。

アメコミ作品に見識を持っていたドナー監督は、『スーパーマン』の最初のふざけた脚本を破棄。007シリーズに携わったトム・マンキウィッツに書き直しを依頼し、大人も楽しめる物語に作り替えた。

封切りされた『スーパーマン』は世界的大ヒット。ジョン・ウィリアムズによるテーマ曲も、『スターウォーズ』(77年)のテーマ曲とともに世の中に浸透していった。

こうしてリチャード・ドナー監督は、アメコミヒーロー映画の礎を築いていったのである。

なお『スーパーマンⅡ』の演出も引き続き担当したが、プロデューサーと衝突して途中降板。後任のリチャード・レスター監督が完成させた『スーパーマンⅡ / 冒険編』(80年)の仕上がりには不満を抱いていたという。

SFXを活用した先駆者

以降、確かな演出手腕で職人ぶりを発揮し『グーニーズ』(85年)がヒット、メル・ギブソンを主役に据えた『リーサル・ウェポン』(87~98年)シリーズも成功を収めた。

93年には妻ローレン・シュラーと会社を立ち上げ、『X – MEN』(00年~)シリーズなどをプロデュース。“SFX” と言われた特殊撮影を早くから活用し、『グーニーズ』で製作総指揮を務めたスティーブン・スピルバーグ監督の黄金期を支えた。

遺作となったのは、06年公開の『16ブロック』(ブルース・ウィルス主演)。また同じ年には、『スーパーマンⅡ/冒険編』を再編集した『スーパーマンⅡ / リチャード・ドナーCUT版』が公開されている。

 

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