小柄だが多才なテクニックと相手の意表を突くパスで攻撃の起点となった。対外試合で低迷が続き「冬の時代」と呼ばれた80年代に、日本代表の10番を背負ったゲームメイカーが木村和司だ。
フリーキックの名手として知られ、85年のW杯アジア最終予選・韓国戦で伝説となるゴールを決め、日本サッカー史にその名を刻む。日本リーグ時代の日産自動車では読売クラブと2強時代を築き、中心選手として数々のタイトル獲得に貢献した。
また西ドイツから帰国した奥寺康彦とともに、国内リーグ・日本人プロ登録選手(スペシャル・ライセンス・プレーヤー)の第一号となり、プロ化の波が押し寄せる日本サッカー界の先駆けとなった。
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