スポンサーリンク
スポンサーリンク

吉本興業の重鎮、笑福亭仁鶴さん死去

スポンサーリンク
スポンサーリンク
吉本・上方落語の重鎮

吉本興業・上方落語会の重鎮で、深夜ラジオDJやバラエティー番組などでも大人気を博した笑福亭仁鶴(本名、岡本武士)さんが大阪府内の自宅で亡くなった。

報道によると17日午前6時過ぎ、義理の姉と弟子の笑福亭仁智(上方落語協会会長)が自宅の寝室で反応のない仁鶴さんを見つけ、駆けつけた医師により死亡が確認されたそうだ。

17年に妻の隆子さんが他界したあとは精神的に落ち込み、また骨髄異形成症候群による体調不良もあって自宅で療養していたとのこと。13日に弟子やマネージャーとの会合を持ったが、その時は元気だったという。享年84歳だった。

「吉本中興の祖」

仁鶴さんは1937(昭和21)年1月28日生まれ、大阪市生野区出身。実家は鉄工所。54年に高校を中退し、行商など様々な職業を経験。やがて落語に興味を抱くようになり、5歳で6代目笑福亭松鶴の弟子となる。

翌63年には吉本興業に所属。60年代後半の落語ブームに乗って、月亭可朝さんや桂三枝(現、6代目桂文枝)さんとともに吉本の顔として花月劇場チェーンへの出演を重ねた。

またテレビ、ラジオ、映画、レコードなどにも多数出演。幅広いタレント活動で大人気となり、戦後松竹芸能の後塵を拝していた吉本を隆盛に導いて「吉本中興の祖」と呼ばれた。

DJを務めた深夜ローカルラジオ番組の『オーサカ・オールナイト~』『ABCヤングリクエスト』では、当時アナウンサーの真面目口調が主流だった中で、下ネタ連発の開けっぴろげトークを展開。若者から絶大な支持を集め、「どんなんかな~」の人気ギャグも生み、一躍「深夜番組の革命児」となる。

それが毎日放送のテレビ番組『ヤングおー!おー!』に繋がり、人気は全国区へ。74年からオンエアされたボンカレーのCMでは『子連れ狼』の拝一刀に扮し、「大五郎、3分間待つのだぞ」のフレーズが大いに受けて一世を風靡した。

最盛期にはテレビ・ラジオでレギュラー番組15本を抱えるほどの人気者だった仁鶴さん。現在の吉本お笑い帝国の礎を築いただけでなく、上方落語の隆盛にも尽力した関西芸人界の巨星だった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました