スポンサーリンク
スポンサーリンク

黒澤明監督「生きる」

スポンサーリンク
スポンサーリンク
黒澤ヒューマニズムの最高傑作

1952年公開の『生きる』は、『羅生門』(50年)、『七人の侍』(54年)と並ぶ黒澤監督の代表作にして、日本映画黄金期に生まれた黒澤ヒューマニズム映画の最高傑作。

癌であと半年しか余命がないと知った平凡な役人が、生きがいを求めて小さな公園をつくることに全力を尽くす。このストーリーを核として、親子の断絶、老人問題、役所のことなかれ主義への批判などを盛り込みながら「人間が真に生きるとは何か」を問いただす。

主人公の渡邊勘治を演じるのは、黒澤作品常連の名優・志村喬。また夜の小説家役・伊藤雄之助の独特な味が、硬質なドラマに絶妙なアクセントを与えている。

市民課の役人に日守新一、千秋実、左ト全、藤原鎌足など。勘治に重大な転機をもたらす元課員の “小田切とよ” 役には、当時俳優座の研究生だった小田切みきが抜擢された。

橋本忍、小国英雄との共同脚本による構成の妙、主演・志村喬の熱演、風俗描写の圧倒的な厚み、メッセージの力強さで映画史に残る名画となった。

ベルリン国際映画祭では市民特別賞を受賞。完成したばかりの夜の公園で勘治が『ゴンドラの唄』を口ずさみながらブランコを漕ぐ場面は、邦画界屈指の名シーンとして有名である。

主人公 渡邊勘治の苦悩

主人公の渡邊勘治は市役所市民課の課長。三十年無欠勤という模範的公務員だが、事なかれ主義の見本のような男だ。

市民課には地区の主婦たちが、場末の不衛生な水たまりを埋め立てて公園に出来ないか陳情のため来所。それに対して課長である勘治は、彼女たちを他部署にたらい回しにしてしまうという無関心さしか示さない。

だがある日、病院の診断で胃癌が発覚。医師からあと半年から1年しか生きられないだろうと告げられる。ずっと以前に妻を亡くしている彼は、男手ひとつで育てた息子(金子信夫)にその苦悩を訴えようとするが、息子夫婦が親の退職金で別居を企てていることを立ち聞きし、失望してしまう。

救いを求める勘治は見知らぬ小説家(伊藤雄之助)と知り合って夜の歓楽街に案内されるが、一時の享楽に虚しさは増すばかり。役所を無断欠勤して生きる意味を探してさまよう日々が続く。

そんな彼に光明をもたらしたのが、元女性課員の小田切とよ。生き生きとした彼女に魅力を感じ、つきまとい続けた勘治は、滞っていた公園建設が余命を有意義にするものだと悟る。

ここから場面は、いきなり亡くなった渡邊勘治のお通夜シーンに転換。後半は主人公の死後、お通夜に集まった関係者たちの回想を通じて人生の意味を考えるディスカッション・ドラマとなる。

巧みなシナリオ構成

脚本では主人公が公園づくりに取りかかるまでを順調に書き進めてきたが、このあと公園を完成させる過程を普通に書いても物語が盛り上がらず、行き詰まってしまったとのこと。

そこで、助監督時代に師匠の山本嘉次郎から教わったシナリオの飛躍技法を思い出し、後半はお通夜の場面で上司、部下、家族、近所の人々などが主人公の行動を追想する形式に変えたそうだ。

すると物語は単なる美談ではなくなり、多様な人々の多様な視点が複雑に絡み合う重層的なドラマとなっていった。それによって主人公の人物像がよりはっきりし、訴えるテーマにも深みが生まれたのである。まさに巨匠・黒澤ならではの、天才的な着想だと言えるだろう。

鬼気迫る熱演で強い印象を残した志村喬だが、撮影前に盲腸の手術を受けて痩せて退院したのに、さらにサウナで減量に取り組んだという。人間の弱さ、惨めさ、そして覚醒してからの粘り強さというユニークな人間像を渾身の演技で表現した。

いつもメッセージ性の強い作品を発するときには、観念が先走りすぎて空回りすることも多い黒澤監督だが、『生きる』は道徳的なテーマとドラマとしての素晴らしさが渾然一体となって調和を成した傑作である。

コメント

タイトルとURLをコピーしました