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ジャン=ポール・ベルモンドさん死去

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フランス映画界を代表する俳優

『勝手にしやがれ』『リオの男』など、戦後のフランス映画界を代表する俳優として活躍したジャン=ポール・ベルモンドさんがパリの自宅で死去。6日に家族から弁護士を通して公表された。

死因など詳細は伝えられていないが、家族によれば最期は静かに息を引き取ったという。享年88歳だった。

ベルモンドさんは1933年4月9日、パリ郊外のヌーイ・シェル・セーヌで芸術家夫婦の間に生まれた。学生時代はスポーツに熱中し、一時はプロボクサーを目指すも父親に反対されて断念。その後演劇に興味を抱き、コンセルヴァトワール(国立高等演劇学校)で演技を学ぶ。

卒業後は舞台俳優として活躍。やがてその演技力が注目され、57年の『黙って抱いて』で映画初出演。59年の『二重の鍵』(クロード・シャブロル監督)で初の主役を務める。

そしてその名を一躍世界に知らしめたのが、ヌーベルバーグの記念碑的作品『勝手にしやがれ』(59年、ジャン = リュック・ゴダール監督)である。

ベルモンドさんは持ち前の個性で、破滅型のやんちゃなチンピラを好演。最後は路上で撃たれ「オレは最低だ」と呟きながら死んでいくシーンが強烈な印象を残し、ヌーベルバーグの寵児となった。

人気スターとしての活躍

その後はフィルム・ノワールの『いぬ』(63年、ジャン = ピエール・メルヴィル監督)、アクション・コメディ『リオの男』(64年)、戦場ドラマ『ダンケルク』(64年、アンリ・ヴェルヌイユ監督)など幅広い役をこなして活躍。同世代のアラン・ドロンと人気を二分した。

65年にはゴダール監督の『気狂いピエロ』に出演。作品はヌーベルバーグの代表作と高い評価を得たが、ベルモンドさんはこの作品を最後にゴダール監督と袂を分かち、エンターテインメントの世界に専念することになる。

危険なアクションシーンでも、スタントマンを使わず演じていたというベルモンドさん。40歳を過ぎても走る地下鉄の上に乗かったり、高いビルによじ登ったりと、派手なアクションを披露していたそうだ。

70年にはアラン・ドロンからのオファーを受け、ギャング映画の『ボルサリーノ』で二大スター共演。映画は大ヒットを記録した。

二人は98年のアクション映画『ハーフ・ア・チャンス』でも再共演。65歳のベルモンドと62歳のアラン・ドロンの往年の活躍を窺わせる姿は、大きな話題を呼んでいる。

2001年に脳梗塞を発症。その後は俳優活動を控えるようになり、静かな余生を送っていたようだ。

 

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