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小津安二郎監督「晩春」

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戦後小津作品のターニングポイント

1949年(昭和24年)に公開された小津安二郎監督『晩春』は、小津芸術の戦後のターニングポイントとなった作品。広津和郎の小説『父と娘』をもとに、完璧な “小津世界” を生み出した。

復員後に撮った『長屋紳士録』(47年)『風の中の牝雞』(48年)が不評に終わるなど戦後のスランプに陥っていた小津監督が、平凡な中流階級の父と娘との関係に題材を求め、淡々とした日常の中に家族の普遍性を描くというスタイルを確立。巨匠復活への名乗りをあげた。

小津作品に初登場した原節子が凜とした美しさを見せ、脚本の野田高梧、撮影の厚田春男と小津世界を形成する顔ぶれが揃い、このあと優れた作品群が生まれていく。

物語のあらすじ

大学教授の曽宮周吉(笠智衆)は、27歳になった娘・紀子(原節子)と北鎌倉で二人暮らしをしていた。紀子は戦中の勤労動員で体調を崩したこともあり、いまだ独身。亡くなった母の代わりに父の世話をしている。

近所に住む周吉の妹・田口まさ(杉村春子)は、いつまでも家を離れようとしない姪に縁談を勧めるが、紀子は「自分がお嫁に行ったら、父が一人になって困る」と言って受け付けない。

紀子の親友・北川アヤ(月丘夢路)も彼女のことを心配。周吉の助手、服部昌一(宇佐美淳)が有力候補者かと思えたが、彼にはすでに許嫁がいた。

娘の身を案じる周吉はそこで、「じつは自分も結婚するつもりだから、お前も結婚してくれないと困るのだ」と説得。本当は周吉に結婚の考えはなかったのだが、知り合いの女性・三輪秋子(三宅邦子)をその相手だと勘違いした紀子は本気にして、大きなショックを受ける。

しばらくぎくしゃくした生活が続いた二人だが、やがて紀子は叔母まさの持ってきた縁談を承諾。そして結婚前の想い出として、父と娘は京都への家族旅行に出かける。

旅行最後の夜に宿泊した旅館で、親子水入らずのひとときを過ごした紀子は「やっぱりあたしお父さんの傍らにいたいの。お父さんが好きなの」と周吉に心情を吐露。父はそんな娘をしみじみと諭し、紀子はようやく周吉のもとから離れることを決心する。

娘の結婚式が終わり、一人自宅に帰った周吉。誰もいない部屋で黙々とリンゴの皮をむき始めるが、やがてその手は止まり、じっと動かず見つめるだけとなる。

小津映画の美しさ

父と娘の細やかな愛情と心の葛藤を、小津流の形式美と静かな描写で語った家族ドラマの傑作。終生独身を貫いた小津が、普遍的な家族というテーマを取り上げた最初の作品である。

よく言われるのは、紀子の周吉に対するエレクトラ・コンプレックス。紀子は父の再婚相手と考える秋子に強い嫉妬心を露にし、最期に旅館で紀子が周吉に心情を吐露するシーンは、まさに愛の告白となる場面だ。

しかし小津監督が描きたかったのはそういった特殊な愛情ではなく、男女の美しい愛の形というものを表現したかったのであろう。親子というのは物語の設定上、借りてきたものに過ぎないのではないだろか。

小津の描く男と女、それに家族や周囲の人たち。それがシンメトリーを基調とした独特の構図の中で淡々と、そして繊細に描かれていてなんとも美しい。

小津映画を観て感じるのは、穏やかさがもたらす安定感とスタイルを崩さない美学の心地よさ。人生の悲哀を描き出す熟練の手腕も観客を惹きつける。だからこそ作品が普遍性を持ち、日本人だけではなく外国人の心も捉えるのだろう。

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