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阿部勇樹選手 今季限りの引退を表明

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ポリバレントの先駆者

浦和レッズの元日本代表MF阿部勇樹選手(40)が、14日にさいたま市内で会見を行い、今季限りでの現役引退を表明した。

昨シーズンは脚の負傷で僅か3試合の出場。今シーズンも度重なる怪我で、12試合の出場に留まっていた阿部選手。会見では何度も涙をぬぐいながら、「今年が最後の年と決意していた。本当に幸せなサッカー人生だった」とコメントを残した。

阿部選手は1981年生まれの千葉県市川市出身。ジェフ市原(現ジェフ千葉)ユース時代の98年8月、当時クラブ史上最年少となる16歳10ヶ月30日でJ1デビューを果たす。

03年にイビチャ・オシム監督が就任すると、21歳の若さでキャプテンに抜擢。それまで控えめで大人しい性格だった彼も、名将の薫陶を受けて闘う選手へと脱却。以前は遠慮していたフリーキッカーを自ら買って出るなど積極的な姿勢を見せた。

05年には守備的MFながら公式戦17得点を記録。翌06年も13得点を挙げ、「ポリバレントの先駆者」としてクラブの初タイトルとなるナビスコカップ2連覇に大きな役割を果たす。

引退後は指導者へ

02年にはU-23日本代表に選出され、アテネ五輪・アジア予選でのレバノン戦でFKを決めるなどオリンピック出場決定に貢献する。しかし五輪本番では1勝2敗の成績でG/L敗退、結果を残せなかった。

A代表には03年に初選出されるが、海外組などメンバーを固定するジーコジャパンにあって、アテネ五輪世代に与えられたチャンスは少なく06年W杯への出場は叶わなかった。

07年には浦和レッズへ移籍、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)優勝メンバーとなる。また前年に代表監督へ就任したオシムに呼ばれ、日本代表への定着を果たした。

オシム監督は病気により退任となったが、後任の岡田監督にも使われ続け、10年のW杯・南アフリカ大会のメンバーに選ばれて初出場。守備重視となった戦術の中で、キーマンとなるアンカーを任されてベスト16進出に貢献している。

W杯終了後、当時イングランド2部リーグのレスター・シティーに移籍。12年に浦和レッズへ復帰すると、17年には2度目のACL制覇、18年には天皇杯優勝を経験した。

そして今シーズン開始2月のFC東京戦では、39歳5ヶ月21歳での開幕戦ゴール。5月の仙台戦では39歳8ヶ月3日のFK弾と、日本人歴代最年長ゴール記録を残している。

またJ1出場21シーズンは歴代最多記録。J1通算589試合(75得点)も歴代4位の記録で、通算で21本決めたPKは100%の成功率を誇る。また国際Aマッチには53試合に出場、3得点を挙げた。

すでにB級コーチライセンスを取得済みで、引退後は指導者の道に進みたいと抱負を語っている。

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