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大久保嘉人選手 引退記者会見

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涙の引退会見

セレッソ大阪に所属する元日本代表FW、大久保嘉人選手(39歳)の引退記者会見が、22日に大阪市内のホテルで行なわれた。

大久保選手はあふれ出る涙をハンカチで拭いながら、「本当に最高のサッカー人生でした」と21年の現役生活を振り返っている。

今季はまだJリーグ2試合と天皇杯準決勝を残しており、「チームタイトルを獲っていない自分には最後のチャンス。(天皇杯を)優勝して喜び合いたい」と、最後まで全力を尽くすことを宣言した。

高校サッカー界のスターから日本のストライカーへ

大久保選手は1982年生まれの福岡県京都郡出身。苅田サッカースポーツ少年団から長崎県の国見中学に移り、そのあと国見高校へ進学。小嶺忠敏監督の「小嶺アカデミースクール」で中高一貫の指導を受ける。

国見高校ではインターハイ、国体、全国高校サッカー選手権大会優勝の3冠を達成。切れ味鋭いドリブルで多くのゴールを生み出し、インターハイと選手権では得点王を獲得。全国に知られる高校サッカー界のスター選手となった。

その実績によりJリーグからは多くのオファーが舞い込み、01年に憧れの森島寛晃が在籍するセレッソ大阪へ入団。1年目は怪我もあり活躍できなかったが、セレッソがJ2に降格した2年目に18ゴールを記録してJ1復帰に貢献する。

J1でもコンスタントな活躍を続けたが、ときに闘争心が前に出過ぎるプレーで警告を受けることも多く、批判の対象となった。

日本代表には03年に21歳で初招集。ジーコ監督に期待され先発FWに起用され続けるも、ラフプレーばかり目立って代表初ゴールを挙げられずにいた。

そんなとき、大久保ら7選手が代表合宿中に抜けだし、キャバクラで大騒ぎしたことを新聞に報じられるという不祥事が起きる。これを知ったジーコ監督は大激怒。チームに対する裏切り行為として、大久保たち7選手はしばらく代表から外されることになった。

A代表を離れた大久保は、アテネオリンピックのアジア予選を戦う五輪代表チームへ合流。残り2試合で3得点を挙げ、五輪出場に貢献した。アテネ五輪には、先日引退を発表した阿部勇樹とともに出場を果たし2ゴールを記録するが、健闘虚しくG/L敗退となる。

それでも五輪での活躍が認められ、04年11月にスペインのマジョルカへレンタル移籍。2シーズンの在籍で、39試合出場5得点6アシストの記録を残した。

その後セレッソへの復帰を経て、07年にはヴィッセル神戸に移籍。09年にはドイツのヴォルフスブルクへ移り、長谷部誠とともにブンデスリーガ優勝を経験するが、大久保自身の出番は少なく1シーズンでヴィッセルに戻る。

J1得点王とワールドカップ出場

07年8月には日本代表へ復帰。10月のエジプト戦で2得点を挙げ、初招集から4年越しの代表初ゴールを記録する。10年6月にはWカップ・南アフリカ大会に出場。得点を挙げることはなかったが、4試合すべてに先発出場してベスト16進出に貢献している。

13年には川崎フロンターレへ移籍。ここで中村憲剛とホットラインを組み、26ゴールを決めて初の得点王を獲得。以降3年連続の得点王に輝き、15年にはリーグMVPに輝く。

14年6月にはWカップ・ブラジル大会に出場。それまで大久保選手はザックジャパンにほとんど呼ばれておらず、サプライズに近い選出だった。大会本番では途中出場を含め3試合すべてに起用されるが、この大会でも得点を決められずにG/L敗退を喫した。

そのあとFC東京、川崎、ジュビロ磐田、東京ヴェルディと活躍の場を移し、21年1月には15年ぶりにセレッソ大阪へ復帰。今シーズンは26試合に出場して6ゴールを挙げていたが、2度にわたる肉離れを発症するなど肉体的にも精神的にも限界に達し、今季限りの引退を決意するに至った。日本代表では60試合に出場、6ゴールの記録を残している。

 

J1歴代最多の191ゴールと警告104回

大久保選手はここまでJ1歴代最多記録の191ゴールを誇る一方、J1通算の警告も104回と歴代最多。引退会見ではあと9ゴールまで迫った200得点に未練はないと語り、また歴代最多の警告については、「レフェリーや審判団には迷惑をかけたのでそこは謝りたい。でも自分らしさを貫いたのは誇りに思う」と記者たちを笑わせた。

セレッソ大阪の森島寛晃社長は、今後の大久保について「(コーチ、スタッフとして)セレッソの力になって欲しいとう思いもある」とコメント。引退後もサッカー界への貢献が期待される。

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