スポンサーリンク
スポンサーリンク

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督「舞踏会の手帖」

スポンサーリンク
スポンサーリンク
人生の悲哀を描いた名画

1937年公開の『舞踏会の手帖』は、戦前フランス映画界4大巨匠の一人であるジュリアン・デュヴィヴィエ監督が、人生のほろ苦さやノスタルジーをオムニバス構成で描いた人間ドラマ。

主役で物語の舞台回しを務める美しき未亡人・クリスティーヌを演じるのは、サイレント時代からの名女優、マリー・ベル。そのクリスティーヌ未亡人が訪ねる旅の相手として、フランソワーズ・ロゼー、ルイ・ジューベ、ピエール・ブランシャールといった当時の名優たちが配役されている。

甘く美しく、薫り高いフランス映画の傑作。ロマンティックな装いの中に、デュヴィヴィエ監督特有のペシミスティックな人生観が鮮やかに映像化され、当時のインテリ青年たちを熱狂させた。

37年のヴェネツィア国際映画際では外国映画大賞を受賞。テーマ曲「灰色のワルツ」のアンニュイに満ちたメロディーは、スタンダードな舞踏曲として今も残っている。

あらすじ

金持ちの夫を亡くし、スイス・コモ湖畔の館に住むクリスティーヌは、かつて初めて参加した舞踏会を思い出す。

シャンデリアが輝く中、白いドレスの裾をひるがえすクリスティーヌ。会場には「灰色のワルツ」の曲が優雅に流れている。そんな彼女に「ジュテーム」と甘い言葉をささやく男たち。

その想い出に誘われたクリスティーヌは、ふと20年前の舞踏会の手帖を開き、そこに書かれた7人のパートナーたちをたどって一人旅に出る。

しかし最初に訪ねた美青年は、クリスティーナの婚約を知って自殺。その母親(フランソワーズ・ロゼー)はそれの事実を受け入れられないまま発狂していた。

またある男は犯罪者になり、医者志望の青年から堕胎医に身を持ち崩した男もいた。もちろん普通に暮らしている男たちもいたが、かつての夢を捨て、平凡な日常に埋没する生活を送っていた。

旅の行く先々でそんな男たちの姿を目にしたクリスティーナは、青春の面影すらとどめない現実の厳しさに幻滅しながらも、運命の悲哀を静かに受け入れていく。

女優マリー・ベルについて

主役のマリー・ベルは当時38歳。中年の悲哀を秘めた表情に人生の憂いをにじませながらも、その気品と凜々しさで、狂言回しになりかねないヒロイン像を印象深く演じて見せた。

またアルプス、マルセイユと、それぞれの男のエピソードに合わせて変わる舞台背景や、ルイ・ジューベ演じるキャバレーの経営者、ピエール・ブランシャール演じるもぐりの堕胎医など、名優による配役の妙も素晴らしい。

マリー・ベルは本名マリー・ジャンヌ・ベロン・ドウネ。1900年12月、ボルドーのベルグに生まれた。少女時代はバレリーナを目指しロンドンの舞台に立ったこともあったが、やがて演技に興味を持ちパリの国立演劇学校に入学。

そこを首席で卒業すると、ただちに舞台女優として活躍。28歳でコメディ・フランセーズの看板女優となった。1924年の『巴里』で映画初出演、その気品と憂いに充ちた美貌とで、サイレントからトーキー時代にかけてフランス映画の代表的女優となる。

ジャック・フェーデ監督の『外人部隊』(34年)で演じた、対照的な一人二役のヒロイン役でも有名。パリを占領された大戦中はレジスタンス運動に参加、その功績によりレジオン・ドヌール勲章を受けている。

監督ジュリアン・デュヴィヴィエについて

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は1896年10月、ノール県リールの生まれ。イエスズ会のミッションスクールで学んだ後、俳優から舞台監督の道に進み、1919年の『Haceldama』で映画監督となる。

以来29年までのサイレント時代に21本の作品を監督。その頃は無名だったがトーキー時代の到来によって頭角を現し、30年代にはジャック・フェーデ、ルネ・クレール、ジャン・ルノワールとともに「フランス映画の4大巨匠」と呼ばれるようになった。

代表作は『にんじん』(32年)『商船テナシチー』(34年)『我らの仲間』(36年)『望郷』(37年)『旅路の果て』(39年)など。そのペシミスティックで詩情あふれる作風により日本で大きな人気を得たが、ヌーベルバーグの監督たちには人工的な作劇が嫌われ攻撃を受けた。

67年10月、自動車運転中に心臓発作を起こして昏倒。衝突事故で急死し、71歳の生涯を閉じている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました