元アルゼンチン代表ディエゴ・マラドーナの弟で、日本でのプレー経験も持つウーゴ・マラドーナさんの死去が、28日にかつて所属していたイタリアのSSCナポリから公表された。
イタリアの報道によれば、ウーゴさんは心心肺停止のためナポリ近郊の自宅で亡くなったとのこと。まだ52歳の若さだった。兄のディエゴも昨年11月に急性心不全で亡くなっている。
ウーゴさんは1969年生まれのブエノスアイレス生まれ。ディエゴの8歳下の弟である。兄同様にサッカー選手としての才能が注目され、アルゼンチンジュニアユース代表として世界大会に出場したこともあった。
兄ディエゴの跡を追うように、85年にブエノスアイレスのアンヘルチノスでプロデビュー。87年にはその兄に呼ばれ、セリエAのSSCナポリに移籍する。
しかしナポリでは公式戦に1試合も出場することなく、下部リーグのアスコリへレンタル移籍。選手として伸び悩んだウーゴは、欧州の各クラブを転々としている。
そんな彼に声を掛けてきたのが、当時JFL2部のPJMフューチャーズ(現サガン鳥栖)だった。ウーゴは兄ディエゴに「頭がどうにかしたのか?」と反対されながらも、日本行きを決断。PJMでは92年から3年間在籍し、助っ人として活躍した。
その後も福岡ブルックス(現アビスパ福岡)、コンサドーレ札幌と籍を移して日本でプレーを続け、97年には27試合19ゴール(リーグ戦10ゴール)の働きで札幌を初のJ1昇格に導いている。
日本では7年間プレーし、172試合出場86ゴールの成績を残した。そのあとアルゼンチンに戻り、2000年に現役引退。引退後は一時プエルトリコのクラブで監督を務めていた。
12年にかつてディエゴが活躍したナポリへ移住。兄の急逝はこの地で聞くことになった。ウーゴさんは今年3月に放送されたNHKのアナザーストーリーズ『マラドーナが神になった日』に元気な姿で登場しており、兄に続いての突然の訃報だった。
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