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BS1 ~森保一監督の目指すもの~

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W杯最終予選の厳しさ

BS1毎年恒例の “サッカー日本代表ドキュメントシリーズ” が1月3日に放送。今回は『サッカー日本代表 勝負の2022年 ~森保一監督の目指すもの~』をタイトルとし、W杯最終予選を戦う監督・選手にインタビューが行なわれた。

ロストフの14秒」に沈んだロシアW杯から早や3年半。11月にカタール杯が行なわれる今年は、森保ジャパンにとってまさに集大成となる年だ。

しかし去年の9月から始まったW杯アジア最終予選は、6試合を戦って4勝2敗のグループ2位。ホームのオマーン戦でいきなり黒星を喫し、サウジ戦にも敗れて追い込まれたことに森保監督は、「非常に不甲斐ない結果かなと思っています」と反省の弁。

そして、負けられない戦いとなった第4戦のオーストラリア戦。日本は前半8分に田中碧のゴールで先制するも、25分にFKを決められ同点。後半は攻めながらも相手GKの好守に阻まれ、膠着した時間が続いた81分、途中出場の浅野琢磨が起死回生の勝ち越しゴール。日本はギリギリで希望を繋いだ。

試合後、選手に「俺たちは生き残ったぞ!」と絶叫する森保監督。殊勲弾を決めた浅野選手は「あの試合で(チームの)一体感が一気に高まったのかな」と振り返る。

選手目線の指導

転機となったのはその前のサウジアラビア戦。0-0と進んだ70分に、柴崎岳の不用意なバックパスから失点。この敗戦はチームに動揺をもたらすかと思われた。

だが森保監督はミスをした柴崎と密にコミュニケーションをとり、オーストラリア戦では先発から外したものの、後半80分からの投入でチャンスを与える。

「ミスしたから使わないではなく、取り返すチャンスもつくってあげたい」と森保監督。また広島時代からの師弟関係である浅野選手も「監督は選手目線」とその指導術を説明。一体となったチームは土壇場で踏みとどまった。

ただサウジ戦は、疲れによりボールロストの目立った柴崎の交代が遅れたことが、失点に繋がっている。その判断の遅さが批判の対象になっているところではあり、オーストラリア戦は監督自ら挽回を期した試合だと言えるだろう。

また東京五輪では、目標のメダルに届かなかったものの、期待の若手たちが貴重な経験を積み成長を促せたのが収穫。森保監督は「選手層の幅を広げながら最期に最強チームをつくる」とW杯までのビジョンを語る。

オフト監督と森保一

そして森保監督の原点を知る人物として、元日本代表監督のハンス・オフトが登場。オフト監督は長崎の無名選手だった森保を、「痩せていたが、決して諦めない強い心を持っていた」と高評価。だが日本代表に抜擢された時のマスコミの反応は、「森保って誰だ?」というものだったとのこと。

それでも森保選手は広い視野と適切なポジショニングで代表ボランチのレギュラーを掴み、オフトジャパンの要として活躍。92年に広島で行なわれたアジアカップで日本の初優勝に貢献する。

そのあと93年のW杯アジア最終予選では、初出場まであと一歩のところまでたどり着くが、「ドーハの悲劇」により敗退。しかしこの苦い経験が日本サッカーのターニングポイントになり、以降W杯出場の常連国となる。

「森保は常にチームのことを考えていた本物のサッカーマン」と語るオフトさん。「ワールドカップへの道は簡単なことじゃない。批判も受けるだろうが自分らしくいろよ」と応援のメッセージを送る。

勝負となる2022年に目指すのは、かつて悔しさを味わったカタールの地で、日本代表の前に立ちふさがる「W杯ベスト16」の壁をぶち破ること。

森保監督が選手に寄り添うモチベーターだということはよく分かったが、ちょっと良い人過ぎるきらいあり。厳しいW杯の戦いを勝ち抜くには勝負に徹する非情さも必要で、選手だけではなく監督の覚醒も待たれる。

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