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ピーター・ボグダノヴィッチ監督 死去

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ノスタルジックな作風

『ラストショー』『おかしなおかしな大追跡』『ペーパームーン』など、ノスタルジックな作風で知られる米映画監督のピーター・ボグダノヴィッチさんが、6日にロサンゼルスの自宅で死去したことが伝えられた。詳細は不明だが死因は自然死とのこと。享年82歳だった。

ボグダノヴィッチさんは1939年6月30日生まれのニューヨーク州キングストン出身。父親はセルビア系のユダヤ人である。

評論家からの出発

子供の頃から映画の熱狂的ファンで、マンハッタンの名画座に入り浸り。12歳の時から観た映画をすべてメモしていたという。その熱心さが映画館主に見込まれて、少年ながら劇場パンフレットの編集に携わった。

そのあと “ステラ・アドラー演劇学校” で4年間学び、役者として舞台にも立った。やがてエスクワイア誌の名編集者ハロルト・ヘイズの知己を得て評論家に転身、フリッツ・ラング、オーソン・ウェルズ、ハワード・ホークス、アルフレッド・ヒッチコック、アラン・ドロンなどの監督論、俳優論を手がけるようになり、67年出版の『ジョン・フォード インタビュー』は日本でも翻訳された。

この頃ロジャー・コーマン監督と知り合い、『ワイルド・エンジェル』(66年)の助監督を務めてその才能を認められる。そして68年にはコーマン監督の資金援助を受けて『殺人者はライフルを持っている』で監督デビューを果たした。

71年にはテキサスの小さな映画館を舞台にした青春映画『ラストショー』を発表。この作品はアカデミー賞の作品賞、監督賞など6部門にノミネートされ、注目される監督となった。

72年には『おかしなおかしな大追跡』を監督。かつて流行ったスラップスティック喜劇を現代的にブラッシュアップし、鮮やかなテクニックとセンスで高評価を得た。

73年にはライアン・オニール、テータム・オニールの父娘共演による『ペーパームーン』を監督。禁酒法時代を背景に、白黒作品として撮った映画は興行的な成功を収め、当時10歳だったテータムは史上最年少でアカデミー助演女優賞を受賞している。

低迷した後半生

しかしアメリカ映画の草創期をノスタルジックに描いた『ニッケル・オデオン』(76年)は、興行的にも批評的にも空振り。そのあと低迷の時期を送るが、84年のヒューマンドラマ『マスク』でやや持ち直した。

71年に『ラストショー』の主演女優シビル・シェパードと結婚するも、78年に離婚。そのあとオードリー・ヘップバーン主演『ニューヨークの恋人たち』の撮影中、同映画に出演したプレイボーイ誌の “プレイメイト” ドロシー・ストラットンと恋人関係になる。

だが80年にその恋人ドロシーが、嫉妬にかられた元愛人ポール・スナイダーによって射殺されるという事件が起きる。83年のボブ・フォッシー監督『スター80』は、この悲劇を描いた映画である。

88年には殺されたドロシーの妹で、ボグダノヴィッチより30歳年下のルイーズ・フーグ・ストラットン(当時20歳)と再婚。世間に話題を提供している。

そのあとはほとんど世間に忘れられた監督となり、14年の『マイ・ファニー・レディ』が遺作となった。

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