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黒人主演俳優の先駆、シドニー・ポワチエさん死去

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ハリウッド黒人主演俳優の先駆者

黒人として初めてアカデミー賞主演男優賞を受賞した、米俳優のシドニー・ポワチエさんが6日に死去。晩年を過ごしていたバハマの政府当局者から7日にフェイスブックで公表され、世界に伝えられた。享年94歳だった。

ポワチエさんは1927年2月20日、米国フロリダ州のマイアミ生まれ。家はバハマ諸島・ナッソーのトマト栽培農家で、両親が農作物をマイアミへ売りに行ったときに生まれた子供である。こうした事情により、生まれながらアメリカの市民権を得ることになった。

少年時代をナッソーで過ごしたが、家業の失敗により15歳で単身アメリカへ移住。ニューヨークでドラッグストアの店員やタクシーの運転手など、様々な仕事を経験している。

黒人初のアカデミー主演賞を獲得

18歳のとき年齢を詐称してアメリカ陸軍に入隊。除隊後はアメリカン・ニグロ・シアターに入団し、俳優の道を志す。そしてオール黒人キャストの「リジストラタ」でブロードウェイ初舞台を踏み、45年の『Navajo Kid』で映画初出演を果たした。

故郷のバハマ訛りに苦労するなど長い下積み時代を送るが、55年『暴力教室』(リチャード・ブルックス監督)の生徒役で注目されるようになり、58年『手錠のままの脱獄』(スタンリー・クレイマー監督)ではトニー・カーティスとともにアカデミー主演賞にノミネート。ベルリン国際映画祭では主演男優賞に輝く。

そして63年公開『野のユリ』(ラルフ・ネルソン監督)では、アリゾナ州の砂漠で教会建設に奮闘する青年を演じ、黒人として初めてとなるアカデミー主演男優賞を受賞する。(黒人のオスカー受賞者としては、39年『風と共に去りぬ』でメイド役を演じたハティ・マクダニエルの助演女優賞に続いて2人目)

黒人俳優の地位向上に貢献

67年の『夜の大捜査線』(ノーマン・ジュイソン監督)では、人種差別と戦いながら事件を解決していく敏腕刑事を熱演。他にも『いつも心に太陽を』(ジェームズ・クラベル監督)『招かざる客』(スタンリー・クレイマー監督)などの作品で、善良で知的な黒人のイメージを定着させた。

同胞からは「白人の思い描く優等生の黒人」と揶揄されることもあったが、黒人俳優の地位向上に寄与した功績を称えられて、01年にはアカデミー名誉賞を贈られた。また09年には、当時のオバマ大統領から米民間人の最高名誉である “大統領自由勲章” を授与されている。

私生活では50年に元ダンサーのファンター・ハーディと結婚し、3児をもうけるものの65年に離婚。その後『失われた男』(69年)で共演したジョアンナ・シムカムと再婚し、2人の娘が生まれた。

そのうちの1人シドニー・ターミア・ポワチエは、『デス・プルーフ in グラインドハウス』(07年、クエンティン・タランティーノ監督)出演で知られる女優である。

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