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ジャン=ジャック・ベネックス監督 死去

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「ネオ・ヌーベルバーグ」の監督

リュック・ベッソン、レオス・カラックス両監督とともに、1980年代に「ネオ・ヌーベルバーグ」と呼ばれて一世を風靡した仏映画監督のジャン=ジャック・ベネックスさんが、13日にパリの自宅で死去した。

死因は伝えられていないが、報道によれば長く闘病生活を送っていたとのこと。享年75歳だった。

ベネックスさんは1946年10月8日パリ生まれ。10代の頃からシネマ・クラブの上映会に通いつめ、愛読書は『カイエ・デ・シネマ』という根っからの映画青年だった。

ヌーベルバーグの監督たちから多大な影響を受ける一方、ボート、カーレース、登山などにも熱中。当初は薬剤師を目指していたが、68年にジャン=リュック・ゴダールらが提唱する “映画革命” 運動に触発されて映画界へ飛び込む。

新感覚の映像

ジャン・ベッケル、クロード・ベリ、ルネ・クレマンらの助監督を経て、81年に監督した『ディーバ』で長編映画デビュー。サスペンスものながら斬新な映像感覚が高く評価され、セザール賞では最優秀新人監督賞など4部門で受賞。トロント映画祭最優秀作品賞にも輝き、一躍時の人となった。

86年には長編3作目となる『ベティ・ブルー』を発表。男女の狂おしい愛をストレートなタッチで描く衝撃的な内容と、鮮烈な色彩による映像が話題を呼び、カルト的人気を博す。

同時代にデビューしたリュック・ベッソン(『グラン・ブルー』など)、レオン・カラックス(『ポンヌフの恋人たち』など)とともにフランス映画界に新しい波をもたらし、「恐るべき子供たち」または3人の頭文字をとって「BBC」と呼ばれた。

また親日家として知られており、93年には日本の “オタク文化” を題材としたドキュメンタリー作品「Otaku : fils de l’empire virtuel」を手がけ、16年には第29回東京国際映画歳・コンペティション部門の審査委員長を務めている。

 

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