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松鶴家千とせさん 死去

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「わかるかな?わかんねェだろうナ」で一世を風靡

「わかるかな?わかんねェだろうナ」のフレーズで、70年代に一世を風靡した漫談家の松鶴家千とせ(本名、小谷津英雄)さんが、17日の午前に心不全のため東京都内の病院で亡くなった。

今年に入ってもデュエット曲を発表するなど元気に活動していたが、1月末に心筋梗塞を発症し緊急入院。体調が安定しないまま2月17日の早朝に容体が急変し、家族が駆けつける間もなく息を引き取ったという。

ナンセンス漫談で人気

千とせさんは1938(昭和13)年、旧満州生まれの福島育ち。福島県立原町高校を中退し、53年にジャズシンガーを目指して上京した。

漫才の松鶴家千代若・千代菊に入門して修行を積み、漫才師として活動するも鳴かず飛ばず。コンビ別れを繰り返し、キャバレーの司会で食いつなぐなど約15年の下積み生活を送る。

67年に千とせ流家元三代目松鶴家千とせを襲名。70年ごろ漫談家に転身したが、なかなか人気は上がらなかった。だが「この客に俺の芸がわかるのか。わかるもんか」という思いを正直に舞台で口にしたことから、運命の転機が訪れた。

「俺が昔夕焼けだった頃、弟は小焼けだった」などのナンセンスフレーズに続け、「わかるかな?わかんねェだろうナ」と繰り出す言葉が大ウケ。アフロヘアーにサングラス、「イエ~イ」からのピースサインをトレードマークとし、73~75年にかけて大人気を博す。

全盛期は2、3年で終了したが「日清焼きそば U.F.O」や、あめ菓子「那智黒」のCMがお茶の間で親しまれ、長く印象を残した。そのあとは東京の演芸場を中心に精力的に活動、ツービートの名付け親にもなった。享年84歳。

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