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アナザーストーリーズ「大島渚 ”最前線” の戦い」

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映画界の革命児

今回の『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』は【大島 渚 ”最前線” の戦い】。松竹ヌーベルバーグの旗手として映画界に登場。以降、革命児として衝撃の問題作を次々に世へ送り出し、世界にも名を知られた大島渚監督。

安保闘争をテーマとした『日本の夜と霧』(60年)で物議を醸し松竹を退社。性のタブーに挑戦した『愛のコリーダ』(76年)では「猥褻か芸術か」の大論争を巻き起こす。

そして83年のカンヌ国際映画祭に出品された『戦場のメリークリスマス』では、戦場での敵同士の男と男の愛情を描き、パルムドールの大本命と目された。

そんな大島監督の ”最前線” に生きる戦いを、小山明子、崔洋一、北野武らが作品映像や資料映像とともに熱く語る。

『戦場のメリークリスマス』と異色のキャスティング

第一の視点は、『戦場のメリークリスマス』で助監督を務めた伊東聡の証言。情緒にあふれた時代劇で海外映画祭の高い評価を受けてきた日本映画だが、大島監督は独自のスタイルで制作した『戦メリ』で世界に挑戦。その舞台裏を知るのが伊東さんだ。

南アフリカの作家の短編を原作とした映画のストーリーは、第二次世界大戦中に日本軍の統治下にあったインドネシア・ジャワ島の捕虜収容所を舞台とし、日本人将校とイギリス人捕虜が対立しながら、相対する男同士の間に不思議な愛が生まれるという内容。

捕虜収容所での敵同士の交流を描いた映画には『大いなる幻影』(37年、ジャン・ルノワール監督)、『戦場に架ける橋』(57年、デヴィッド・リーン監督)といった名作があるが、大島監督は「同性愛をテーマにしたい」と斬新な企画に挑戦。

英国軍人セリアズ役にはロックスターのデヴィッド・ボウイ、ヨノイ大尉役にはYMOの坂本龍一、ハラ軍曹役には人気漫才師のビートたけしと、異色のキャスティングで撮影が行なわれた。

その中でも異質の存在感を放ったのが、俳優としては素人同然だったビートたけし。かつて大島監督について語った番組では、「ハラ軍曹役に上手い役者を使っていたら埋没していた。オレがガサツな原石だったから目立った」と分析。これが定型を嫌う大島流のキャスティング術だろう。

大島渚とカンヌ国際映画祭

リテイクを嫌がり、ファーストテイクでの緊張感を好んだ大島監督。デヴィッド・ボウイの想定外のパントマイム演技も歓迎、面白がって映画に取り込んだ。

クライマックスとなるセリアズとヨノイ大尉のキスシーンでは、フィルムの不具合でところどころ何も写っていないコマがあることが判明。すでに国外撮影地でのロケは終わっており、撮り直しは困難という致命的な事態だった。

この危機に、大島はフィルムの使える部分を繋げ、残像効果を施す方法で対処。クライマックスシーンはぎこちなさを残しながらも、より印象的なシーンとなった。アドリブを得意とする監督の本領発揮である。

こうして完成した作品を携え、カンヌ国際映画祭の大舞台に登場。派手なプロモーション活動の効果もあり、『戦メリ』はパルムドールの大本命と目された。

しかし結果は、同じ日本映画でも今村昌平監督の『楢山節考』がパルムドールを受賞。大島作品の斬新さより、今村作品の土俗的なテーマが評価されたのだ。

それでも大島監督は「大勝利です」と宣言。『戦メリ』は普遍的な魅力を持つ映画となり、現在まで30を越える国で上映される国際的作品となった。

大島作品を支えた妻、小山明子

第二の視点は、妻であり女優である小山明子。松竹時代に助監督を務めていた大島渚と出会い、60年に結婚している。

60年の『青春残酷物語』で松竹ヌーベルバーグの旗手となった大島は、同年制作の『日本の夜と霧』で会社首脳陣の不興を買い対立。『日本の夜と霧』は公開わずか4日で上映打ち切りとなり、それに抗議して大島は松竹を退社する。

翌61年には脚本家の田村猛、石堂淑郎、俳優の小松方正、戸浦六郎らとともに独立プロ「創造社」を設立。テレビドキュメンタリー『忘れられた皇軍』(63年)『青春の碑』(64年)などを手がけるとともに、ATG(日本アート・シアター・ギルド)と提携。『絞死刑』(68年)『少年』(69年)『儀式』(71年)といった作品を発表し、様々な社会問題を世に問うた。

しかし低予算で作られる大島映画は、常に資金難に悩まされる状態。その窮地を救ったのは、大島作品の女優でもある妻の小山明子だった。彼女は制作資金が尽きると地方コマーシャルに出演、まとまったお金を稼いで大島を支え続けた。

『愛のコリーダ』の衝撃

第三の視点は、問題作『愛のコリーダ』で助監督を務めた崔洋一。世界進出を狙う大島は、フランス人プロデューサーの知己を得て “ハードコア・ポルノ” 合作映画制作の依頼を受ける。

大島はその申し出を受け、「阿部定事件」を題材にした映画『愛のコリーダ』を企画。俳優たちの本番行為をそのまま劇場映画用に撮影するという、性表現のタブーに挑戦した。

この撮影に当たり、大島は当時25歳のテレビドラマAD・崔洋一をチーフ助監督に抜擢。日本での性表現の規制が厳しかった時代、『愛のコリーダ』はフランス映画として制作。撮影は日本で行なわれたがフィルムの出どころと現像はフランスとし、撮影済みのフィルムは警察の手入れを用心して知人に預けるなど、猥褻罪に引っかからないように細心の注意が払われた。

苦労の末完成させた『愛のコリーダ』は、76年のカンヌ国際映画祭で上映。男女の愛欲への極限を赤裸々に描いた映画はたちまち大評判をとり、大島の名を世界に知らしめたのだ。

だが世界でアート作品の監督として評価されるも、日本では犯罪者扱い。『愛のコリーダ』の書籍は猥褻文書だとされ、大島は東京地検に起訴される。しかしこれに大島は徹底抗戦。5年に及ぶ裁判の結果、無罪を勝ち取った。

晩年まで最前線に立ち続けた男

常に最前線で戦ってきた大島だが、64歳を目前とした96年2月に脳梗塞に倒れ入院。右半身の麻痺と言語障害が後遺症として残るも、必死のリハビリにより現場へ復帰。99年の『御法度』で12年ぶりのメガホンを握った。

新撰組の男同士の愛憎を描く映画の主演には、当時高校生だった新人の松田龍平を抜擢。近藤勇役には崔洋一が起用され、土方歳三役にはビートたけし。他にも俳優経験の少ないタレントが多く起用されるなど、大島テイストにあふれた作品だった。

遺作となったこの映画を持って、14年ぶりとなるカンヌの舞台に登場。周囲の関係者に生涯の残る体を支えられながらも、革命児として変わらぬ雄姿を世界に見せつけている。

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