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アナザーストーリーズ「笑いの革命者たち よしもとNSCの挑戦」

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よしもとNSCの挑戦

22日NHK G放送の『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』は、【笑いの革命者たち~よしもとNSCの挑戦~】。

漫才ブーム直後の1982年4月、大阪で開校したNSC(ニュー・スター・クリエーション = 吉本総合芸能学院)。芸人となるには師匠につくのが当たり前だった時代、しきたりに馴染まない若者を取り込み、新たな人材を発掘するためにつくられた芸人育成スクールだ。

そこに集まった一期生たちは海のものとも山のものとも分からない存在だったが、やがてダウンタウンを始めとする新たなスターたちが続々と誕生。その後のお笑い界に革命をもたらした多くの芸人たちが、NCSから巣立っていった。

NSCの第一期生、ダウンタウン

NSC創成期を語る証言者は、現・吉本興業ホールディングス会長の大﨑 洋さん。「大阪の笑いは箱根の山を越えられない」と言われた時代を経て、80年代の漫才ブーム到来期に若手マネージャーとして奔走。しかし当時は音楽系事務所が幅をきかせていた東京の芸能界、お笑い事務所と見下された吉本で肩身の狭い思いをしたとのこと。

東京への本格進出を目指す吉本は、若者の感性に訴える新たな才能発掘を図るべく、82年にお笑い学校NSCを創設。「師匠へ付く」という従来のやり方が時代にそぐわなくなり、弟子修行を嫌がる在野の才能を取り込もうというのが、NSC開校の目的だった。

NSC第一期生として集まったのは、「楽しそうだったから」「クラブの延長みたいな感じ」と、軽い気持ちで入ってきた生徒たち。だがその中でまったく違う輝きを放っていたのが、松本人志と浜田雅功のコンビ、ダウンタウンである。

彼らの漫才やコントを見た大﨑さんは、センスの新しさ、刺激の強さに「これは(発想が)違う。何が飛んでくるかわからない」と恐怖さえ感じたという。

そして腕だめしとして出場した小さなコンクールで、プロを押しのけて大賞を獲得するなど在学中から才能を発揮。しかし「まるで友達同志の会話のよう」という斬新すぎるスタイルで、横山やすしからは「お前らのは漫才やない、チンピラの立ち話や」と罵倒され、客にも引かれていたそうだ。

そのため、NSCを卒業してもダウンタウンのスケジュールは真っ白。そんな状況の中、彼らの凄さが世に理解されていないと考えた大﨑さんは、大胆な方法で二人の売り込みを開始。ラジオに出演し、「ダウンタウンはなぜ売れないのか?」を探る番組を仕掛けたのだ。

漫才ブームを牽引したひとりである島田紳助は、「彼らはめちゃめちゃオモロイんやけど、時代の流行りに合っていない」と二人の漫才を分析。それに対し松本は、「僕らの漫才はもうオモロイんや、ほっといても絶対負けんわと答え出てますから。僕らの漫才はほとんど完璧です」と強気の弁で応えた。

若気の至りとも言える発言だが、この揺るがない自信と飛び抜けた才能による突破力で、ダウンタウンは新しい時代を切り開いていく。

箱根を越えた大阪の笑い

86年に心斎橋筋2丁目劇場がオープンすると、大﨑さんは “笑いの実験場” としてダウンタウンら若手を送り込む。そしてオープニング公演には、ダンスあり、笑いありの “青春劇” が披露された。当初それを恥ずかしがったダウンタウンに、大﨑さんは「所詮 漫才師やのう、お前ら。そんなんやったら何も出来るわけないわな!」と叱咤。新たな可能性を掘り出した。

このオープニング公演では、松本が直前の稽古で使った台詞を、本番でまるっきり変更。演出を任されていた湊 裕美子さんが「最後の稽古でやったあれ、めちゃめちゃ面白かったやんか。お客さんも喜びはるんちゃう?」と言うと、松本は真剣な顔で「笑いはね、旬のもんなんです。稽古で笑い倒したものを、お客さんの前に出すのアカンのです」と返し、覚悟の強さを見せた。

翌年には2丁目劇場からのテレビ生放送『4時ですよーだ』も始まり、多くの若者の心を掴んだダウンタウンは、社会現象としてニュースに取り上げられるほどの人気を得る。

この人気をきっかけに、89年には東京へ本格進出。二人はキー局のゴールデンタイムを席巻するまでになった。

最後に大﨑さんは、「NSCをつくったことで、師匠と弟子という関係性ではなく、スタッフ(吉本社員)と芸人が直接向き合うことになった。エンターテインメントに新しい形をつくったなと・・・」コメント。ダウンタウンの成功をきっかけに、大阪の笑いは箱根を越えていっただけでなく、日本全国に裾野を拡げていった。

NSCの役割

第2の視点では 〈福島住みます芸人〉の “ぺんぎんナッツ” を、第3の視点ではNSCの講師陣を紹介。よしもとの笑いへの挑戦は、現在も続いている。

お笑いの学校でテクニックやネタ作りのノウハウは学べるものの、芸人として成功する決め手はセンスやオリジナルの個性といった教えられない部分。多くの芸人が試行錯誤を繰り返し、時には10年以上の歳月を掛けて独自のスタイルとパーソナリティーを確立。芸への説得力を持った者が、厳しい競争世界を生き残っていく。

NSCの役割は、お笑い界を目指す彼ら彼女らへ、互いに切磋琢磨する仲間や環境を与えるところにあるのだろう。

 

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