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上島竜兵さん、自宅で急死

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突然の訃報

お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵(本名・龍平)さんが、11日に自宅で急死した。同日未明、首をつった状態で意識を失った上島さんを家族が見つけ119番。午前1時頃に搬送先の病院で死亡が確認された。警視庁は自殺を図ったものとみて経緯を調べている。

上島さんに何があったかつまびらかではないが、コロナ禍で後輩芸人との飲み会ができなくなった寂しさや、持ちギャグがやり辛い現状の息苦しさを吐露していたという。享年61歳。

所属事務所の太田プロからは「あまりにも突然のことで驚きに堪えません」とのコメントが発表され、上島さんを知る各界の人々からは急な別れを悼む言葉が多く寄せられている。

突然の訃報と衝撃の大きさに、「ダチョウ倶楽部」の仲間である肥後克弘さんと寺門ジモンさんの憔悴が伝えられ、現在二人からのコメントは発せられていない。

リアクション芸の第一人者

上島さんは1961年1月20日生まれの兵庫県神戸市育ち、高校卒業後に俳優を志して上京。劇団青年座などを経て、【コント赤信号】渡辺正行の知己を得てお笑いの道に進み、80年に南部虎弾、寺門、肥後と【キムチ倶楽部】を結成する。

85年に【ダチョウ倶楽部】と改名し、南部が抜けた87年からトリオとして活動。上島さんは当初はツッコミだったが、自然とボケへと転向していった。

【ダチョウ倶楽部】がブレークしたのは、89年から放送された日本テレビ特番『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』出演がきっかけ。背負ったリュックが爆発するなど捨て身のリアクションと、「殺す気か! 訴えてやる!」の鬼気迫る叫び声で、お茶の間の爆笑を誘った。

これでビートたけしに気に入れられ、92年からは日本テレビ『スーパージョッキー』にレギュラー出演。同番組の名物コーナー “熱湯コマーシャル” で、「押すなよ!」のフレーズとともにリアクション芸を確立し、ダチョウ倶楽部は人気トリオとなっていく。

このあとも、片岡鶴太郎の “アツアツおでん芸” を引き継ぎ伝統芸へと昇華。盟友・出川哲朗らと見せる “ケンカからのキス芸” や、“お約束の集団ジャンプ” も定番とした。

そして「ぐるりんぱ」「ヤー!」「どうぞどうぞ」「ムッシュムラムラ」「ワキあいあい」などの人気ギャグを毎年のように生み出し、特に「聞いてないよォ!」は、93年の新語・流行語大賞で大衆部門の銀賞を受賞するほど世の中に喧伝した。

上島さんの交友関係

師と仰ぐ志村けんさんとは96年に出会い、すぐにフジテレビの『志村けんのバカ殿様』レギュラーに抜擢。私生活でも親交を結び、コント師としての芸域を広げていった。また映画『上島ジェーン』(19年)、テレビドラマ『怪物くん』(10年)『真犯人フラグ』(21年)など、俳優としても活躍中だった。

優しい人柄で知られ、上下関係を強要せず後輩から親しまれていた上島さん、無名時代の劇団ひとり、土田晃之、有吉弘行らの後輩芸人を集め、飲み会「竜兵会」でよく面倒を見ていたエピソードでも有名だった。後年彼らがブレークし「あいつらが売れるのが素直に嬉しい」と喜びの言葉を発している。

しかし根が真面目で寂しがり屋の一面を持ち、コロナ禍以降彼らとの交流が激減すると、残念がる言葉を口にしていたという。

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