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ロベール・ブレッソン監督「抵抗」

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ロベール・ブレッソンの傑作

1957年公開のフランス映画『抵抗(レジスタンス)死刑囚の手記より』は、ナチスドイツに占領されたフランスの傀儡政権時代、投獄されたレジスタンスの手記を元につくられた緊迫感に充ちた脱走ドラマ。

誇張を一切排除した演出で、独房内での男の行動をドキュメントタッチで描いた傑作。1人の男が脱獄するまでの一部始終を、もの狂しいと言っていいほどの熱意をこめたディティールへのこだわりで描く。

監督は『スリ』(59年)『ジャンヌ・ダルク裁判』(62年)『バルダザールどこへ行く』(66年)『ラルジャン』(83年)などで知られる巨匠ロベール・ブレッソン。

プロの俳優を嫌い、素人を好んで使ったブレッソン監督は、この映画の主人公にもフランソワ・リテリエという当時大学生だった青年を起用。ちなみにリテリエはのちに映画監督となり、『さよなら エマニエル夫人』(77年)などを手がけている。

人間の内面を描き出す静かな映像

リヨンの街でレジスタンス活動を行なっていたフォンティーヌ中尉(フランソワ・リテリエ)は、ナチスの憲兵に捕えられて独房へ投獄。収容所の厳しい監視を逃れながら、監獄内の囚人から安全ピンやカミソリを手に入れ、脱出へのアプローチを図る。

安全ピンで手錠を外す訓練を繰り返し、くすねたスプーンをひたすら磨き上げて鋭いナイフのように加工。食器をコツコツ削って合い鍵さえ作った。そして徐々に削られる独房床の羽目板と、そこに詰められる裁断された細かい布きれ。映画は男の地道な作業をリアルなディティールで再現し、閉塞環境から抜け出そうとする人間の執念を淡々と描き出す。

映画は主人公の顔や手をクローズアップしたカットを多用。特に役者の演技や台詞に頼らなくても、冷徹な描写だけで緊張感あふれるドラマをつくりだした。

脱出用のロープも作って決行を控えたある日、フォンティーヌの独房に脱走兵の少年が放り込まれる。敵のスパイかもと疑うフォンティーヌだが、意を決して協力を依頼。2人は困難を乗り越えて脱出に成功し、ついに自由を手にする。

ブレッソン監督は誇張した表現を徹底的に排除、素材の味を活かした演出で静かな感動を呼ぶ名作となった。同じ手法を用いて作られたのが59年に公開された『スリ』。スリ師のテクニックを捉えた徹底したディティール表現で、人間の内面を繊細に描き出している。

そしてこの『抵抗』を踏まえて製作されたのが、ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演のエンターテインメント作品『アルカトラズからの脱出』(79年)である。

ブレッソン監督について

ブレッソン監督は1901年9月生まれ、フランス中央部に位置するブロモン=ラモトの出身。画家、写真家として活動したあと、33年頃から脚本家・助監督として映画界の仕事をするようになる。

その後、第二次世界大戦で従軍するもドイツ軍の捕虜となり、収容所で知り合った司祭の依頼で長編デビュー作となる『罪の天使』を監督。50年公開の『田舎司祭の日記』で主役に素人を起用し、“孤高の映画作家” と呼ばれる独自のスタイルを確立した。

ブレッソン監督の玄人嫌いは徹底したもので、62年の『ジャンヌ・ダルク裁判』では「芝居がかった身振りや大げさな扮装の出てくる歴史物の映画は願い下げだ。この作品において、私はわざとらしい芝居も仮装もなしに、ただ歴史的な言葉遣いによって非歴史的な真実を発言しようと試みた」と述べている。

その日常生活を凝視する作風と、映像からかもし出される知的な雰囲気は、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワーズ・トリフォーなどヌーベルバーグの監督に支持された。

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