スポンサーリンク
スポンサーリンク

「サッカーの園 ~究極のワンプレー~」ダービーマッチ

スポンサーリンク
スポンサーリンク
【真の大阪を懸けた戦い】大阪ダービー

『サッカーの園 ~究極のワンプレー~』、今回のお題は【ダービーマッチ】。「勝てば天国、負ければ地獄」、因縁を持つ相手との戦いは勝負の魅力が凝縮。その熱いダービー戦をスタジオゲストの福西崇史さんとともに紹介する内容。

最初のノミネートは、セレッソ大阪 vs ガンバ大阪の “大阪ダービー”。セレッソは、前身のヤンマー時代に釜本邦茂を擁して日本サッカーリーグ優勝4回、JSLカップ優勝3回、天皇杯優勝3回を果し、ガンバの前身である松下電器を圧倒。

しかし先にJリーグへ加入したのはガンバ。西野朗監督が率いた2000年代半ばから黄金期を築き、J1優勝1回、Jリーグ杯優勝2回、天皇杯優勝4回、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)制覇1回と、近年の実績でライバルをリード。両チームの間で ”大阪の盟主” を懸けた熱い戦いが繰り広げられている。

ガンバサポーターが選ぶ「究極のワンプレー」が、19年第12節のダービーマッチ。当時のガンバは、7試合勝ち星がなく16位と低迷。そんなチームを救ったのが、ガンバユース生え抜きの倉田秋選手。0-0で迎えた後半の10分、倉田選手が右足を振り抜いて決勝点。宿敵から8試合ぶりの勝利をもぎ取った場面だ。

一方セレッソサポーターが選ぶ「究極のワンプレー」は、17年のJリーグ杯・準決勝。第1戦を2-2の引き分けで迎えたアウェーでの第2戦、柿谷曜一朗のゴールで先制するも、後半ガンバの得点を許し、アウェーゴールの差でリードされてしまう。

後半もアディショナルタイムに入り、残り時間はあとわずか。しかしここでセレッソ2年目の木本恭生選手が起死回生の決勝弾。ダービーマッチを制したことにより、このあと “桜” のチームがJリーグ初タイトルを獲得した。

サポーターたちの熱い思いがこもった【真の大阪を懸けた戦い】、“大阪ダービー” が最初のエントリーとなった。

【“ダービー男” 前園真聖】と澤登正朗【伝説のフリーキック】

続いては、【“ダービー男” 前園真聖】が第2のエントリー。フリューゲルス時代にマリノスと激しい横浜ダービーを演じた前園さん。マリノス戦でプロ初得点を記録すると、4ゴールを記録した試合のすべてに勝利するという、ダービー男の本領を発揮。

その人気絶頂期には、イベントでMr.Children『名もなき詩』の一節を歌っただけで女性ファンから黄色い歓声があがるという、モテ男ぶりを懐かしVTRで紹介。今ではすっかりイジられキャラが板についた前園さんでした。

3つめのノミネートは、サッカー王国の覇権が争われる清水エスパルスとジュビロ磐田の “静岡ダービー”。J1最多51回の戦いが繰り広げられてきた国内屈指のダービー戦だ。

その「究極のワンプレー」が、99年Jリーグチャンピオンシップ。第1戦で磐田が2-1と勝利し、舞台を清水のホームに迎えた第2戦。アウェーの磐田が服部年宏のゴールで先制点すると、さらに清水のアレックスが報復行為で一発退場。エスパルスは絶体絶命の状況に追い込まれた。

だがその直後、澤登正朗が28mの距離から鮮やかなFKを叩き込んで1点差。これで勢いを得た清水は、ファビーニョの劇的延長Vゴールで2戦合計3-3の同スコア。このあとPK戦で磐田がチャンピオンシップを制し、歴史に残るダービー戦に決着をつけた。

この歴史的名勝負を生んだ澤登さんの【伝説のフリーキック】が、3番目のエントリー。

【中村憲剛 現役ラストゴール】と福西崇史の【クールに見せかけた暴れん坊】

4つめのノミネートは、多摩川を隔てた川崎フロンターレ(川崎市)とFC東京(調布市)による “多摩川クラシコ”。その「究極のワンプレー」が、2020年の多摩川クラシコ対決。この年で現役を引退した中村憲剛さんの、40歳の誕生日に行なわれた一戦だ。

1-1の同点で迎えた後半の29分、三笘薫の左サイドをえぐるドリブルから、ゴール前へ巧みなポジションをとった中村が狙い通りのバースディーゴール。この【中村憲剛 現役ラストゴール】が4番目のエントリー。

また08年の東京ダービー、東京ヴェルディとFC東京の試合では、「超人ハルク」のフッキと「ゴリラ」長友佑都とのバチバチのマッチアップが展開。だがその裏で、古巣に削られて熱くなったヴェルディの福西さんが、不自然な払い手からFC東京の今野泰幸選手へ顔面パンチ。この【クールに見せかけた暴れん坊】もついでにエントリー。

「残留王」大宮アルディージャの奇跡

最後のノミネートは、浦和レッズと大宮アルディージャによる “さいたまダービー”。浦和はこれまで数々のスター選手を生み出し、ACLなどいくつかのタイトルも獲得。熱いサポータに支えられたJリーグ屈指のビッグクラブだ。

一方の大宮は、浦和の陰に隠れて当初は観客席がガラガラ。J1の成績も振るわず、毎年のように残留争いを繰り返したことから付けられたあだ名が「残留王」。浦和からはライバルとさえ思われていない存在だった。

だが05年にJ1で初めて行なわれたダービー戦で、大宮が1-0の勝利。決勝点を挙げた桜井直人が、肩身の狭い思いをしていた大宮サポーターへ「浦和の街を堂々と歩いてもらいたい」と熱いメッセージを発信。“さいたまダービー男” と呼ばれた桜井の闘志で、浦和へのコンプレックスを払拭していく。

桜井は09年に引退したが、そのダービーに懸ける想いは後輩たちが受け継いでいった。12年には、 第24節 “さいたまダービー” での勝利をきっかけに、大宮がリーグ戦17試合連続負けなしのJリーグ記録に迫る快進撃。

その「究極のワンプレー」が、記録更新の懸かった翌13年の第7節、因縁の浦和との対戦。ホームスタジアムには過去最高の大宮サポーターが集り、選手たちは試合開始から闘志をむき出しにしてプレー。そして前半のアディショナルタイムに大宮の決勝点が生まれ、18試合連続負けなしのJ1新記録を達成した場面だ。

「さいたまダービーとは?」の問いかけに、桜井さんは「ひと言で、勝つか 勝つか」と謎の二択で回答。この【桜井イズムが起こした大宮の奇跡】が、最後のエントリー。

前園さんはこの6つの中から、“静岡ダービー” を「究極のワンプレーNo,1」に選定。ダービー戦をJリーグに浸透させ、その名勝負から澤登さんのような伝説プレーも生まれたという理由に納得。さすがは前園さん、ただのイジられキャラじゃないな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました