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「サッカーの園 ~究極のワンプレー~」助っ人外国人

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エムボマの【伝説のボレーシュート】

BS1放送『サッカーの園 ~究極のワンプレー~』、今回のお題は【助っ人外国人】。Jリーグの歴史を彩ってきた外国人スターたちのプレーを語り尽くす内容。ゲストには、Jリーグ初期に外国人助っ人と対峙してきた、元日本代表GKの小島伸幸さんがスタジオに初登場。

最初に登場したのが「浪速の黒豹」こと、元ガンバ大阪のパトリック・エムボマ。スピード、テクニック、パワーとすべてを兼ね備え、Jリーグ得点王にも輝いた最強助っ人だ。

カメルーン生まれのフランス育ち。パリ・サンジェルマンでくすぶっていたエムボマが日本にやってきた理由は、「ガンバから提示された給料がPSGの8倍だった」からとのこと。

当時弱小チームと呼ばれたガンバだが、28試合25ゴールを挙げたエムボマの活躍で年間順位4位へと急浮上。在籍期間は1年半と短かったものの、日本のファンに強烈な印象を残した。

02年の日韓W杯ではカメルーン代表のエースFWとして来日。中津江村でのインタビューで「食事はおいしいですか」の質問に、エトーの発言をさえぎってまで「うどんがアリマセン」と不満を述べるほどの小麦粉麺好きをアピール。そういやあジーコもうどん好きだったな。

エムボマ自身が選んだ「究極のワンプレー」は、97年のベルマーレ平塚との開幕戦、リフティングから決めた【伝説のボレーシュート】だ。このときベルマーレのゴールを守っていた小島さんも、想定外のシュートに啞然とするばかり。エムボマが「人生の宝物のようなゴール」と自賛するこのプレーが第1のエントリー。

ジーコの【現役最後の “FKのゴール” 】

お次はJの歴史を彩ってきたスーパースターたちによる ”とっておきプレー集“ のコーナー。鹿島アントラーズの「神様」となったジーコ。なぜか「彼の現役最後のFKは僕が決められたんだ」とドヤ顔で語る小島さんでした。

他にもレオナルドストイコビッチスキラッチフォルラン、イニエスタと、Jで活躍したスーパースターたちを紹介。なんとスキラッチにハットトリックを決められたのも小島さん、今回は前園さんに代わるイジられ役として大活躍の模様。

準レギュラーの中澤佑二さん&笹木かおりさんが挙げるのが、元ヴェルディのエジムンドと元浦和レッズのエメルソン。”リオのカーニバル” の時期になると勝手に帰国してしまうエジムンドと、ありえない理由で練習をサボろうとするエメルソン。それでも結果を出すという「ある意味ヤバイ」二人。

この中からジーコの【現役最後の “FKのゴール” 】が、2つ目のエントリー。

磐田を変えた【ドゥンガの教えた詰まった一発】

3番目のノミネートは、元ジュビロ磐田の「闘将」ドゥンガ。94年W杯で優勝したブラジル代表キャプテンとして来日。J1に昇格したばかりでまだ甘さの抜けないジュビロに、プロ意識を植え付けた「怒れる鬼軍曹」だ。

ドゥンガは磐田の選手に “2つの教え” を提言。その1は「堅実なプレーを心がけよ」。派手なプレーを好みがちな選手に、勝つための堅実なプレーを徹底させた。手を抜いた選手に対しては、怒り爆発の熱血指導。例え試合中であろうとも、首根っこを掴まえて堅実なプレーのやり方を叩き込んだ。

そして2つめの提言が「闘争心を身に付けろ!」。「サッカーとは情熱だ!」と吠えるドゥンガ。とにかく負けるのが嫌いで、後出しジャンケンで小学生を泣かせる、という大人げないエピソードを元同僚の福西崇史さんが語る。

そのドゥンガの怒りの標的となったのが、当時21歳で昇格したばかりの山西尊裕さん。「大げさに倒れるから、日本語で審判にアピールしろ」とドゥンガに指示された山西さんだが、試合に入るとすっかり失念。すると倒れていたドゥンガがいきなり立ち上がり、「アピールしろと言っただろう!」と大激怒。山西さんはボディーに2、3発パンチを喰らったそうな。

磐田に闘争心を植え付けたドゥンガの「究極のワンプレー」が、97年第2ステージ第12節の浦和レッズ戦。初優勝の正念場を迎えていた磐田だが、大一番を迎えて腰が引き気味となる選手。そこへドゥンガが「浦和より強いチームはどこだ!我らジュビロだろう!!」と檄を飛ばすと、たちまちチームの士気は爆上がり。選手たちは闘争心むき出しで戦った。

一進一退の攻防が続いた試合は延長にもつれ込んだが、休まずに攻めた藤田俊哉の一発で磐田が勝利。この勝利をきっかけに磐田が初のJリーグ年間王者を獲得する。「闘将」ドゥンガのスピリットは、ジュビロ2000年代前半の黄金期を築く礎となった。

この【ドゥンガの教えた詰まった一発】が3番目のエントリーとなった。

【プレー以外でも盛り上げた助っ人たち】の3人

続いては「クイズの園」のコーナー。ベッカムに並ぶイケメン人気者としてヴィッセル神戸入りしたトルコのイルハン・マンスズだが、わずか3試合で帰国。現在はフィギュアスケート選手に転身していることを、前園さんがみごと回答。

そして流行語となった「友達ならアタリマエ」など、陽気なキャラでお馴染みのアルシンド。「日本で何にチャレンジしたか」の問いに、これまた前園さんが「歌手デビュー」とご名答。さすが前園さん、伊達にMCやってないな。

最後は、柏レイソルJ初勝利に決勝点で貢献したブラジルのミューレル。しかし日本に馴染めず3ヶ月で帰国。その理由は、日本のゴミ分別の難しさが奥さんにはストレスとなり、帰国を余儀なくされたとのこと。

この【プレー以外でも盛り上げた助っ人たち】3人が、まとめてのエントリーNo.4となった。

ダヴィの【J2優勝を決めた一発】

最後はコンサドーレ札幌の “原石ハンター” を紹介。ダヴィ、ウィル、フッキ、エメルソンと、母国のブラジルで無名だった彼らを発掘したのは、札幌・代表取締役GMの三上大勝ひろかつさん。

現場主義を貫く三上さんは、ブラジルの奥地まで飛び自分の目で選手のプレーや人となりを確認。危険な目に遭いながらも、掘り出し物を見つけてくるのが “原石ハンター” の流儀。

その極意は、「一人の選手がボールに触るのは1試合3分ぐらい。ほかの87分は何をしているのかをあえて見る」ことを意識しているとのこと。

ダヴィ選手の場合は、気温が43度くらいある中で一人ピッチを90分間ハードプレー。彼の輝く姿に三上さんのセンサーが反応し、「この選手しかいない」と決めたそうだ。

そのダヴィの「究極のワンプレー」が、07年J2最終節の水戸ホーリーホック戦。1-1で迎えた後半39分、1本のロングパスに抜け出したダヴィが、J2優勝とJ1昇格をたぐり寄せる決勝弾。「育成が上手いコンサドーレ」を定着させるきっかけとなった。

この【J2優勝を決めた一発】が最後のエントリー。

5つのエントリーの中から、前園さんはジーコを「究極の助っ人外国人」に選出。その理由は「Jリーグを創成期から支えたスーパースター。小島さん込みで」というもの。まあやっぱりそうだよね。

ラスト「助っ人外国人」とはの問いかけに、中澤さんはなぞかけで「リネカーとかけまして、急な腹痛と解きます。その心はどっちも下痢ゲーリーでしょう」と珍回答。柴田さんに「こりゃ失敗ですね!」と言われ、「いやこれ、スゲエ自信があったんですけど」と返せる中澤さんのずうずうしさが、ある意味エライぞ。

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