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BS1「スポーツ × ヒューマン」伊東純也

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カタールW杯出場決定の立役者

7日に放送されたBS1『スポーツ × ヒューマン』は、【 “ドリブル突破” で世界の壁を打ち破れ ~サッカー日本代表 伊東純也~】。いまや日本代表を牽引する攻撃のキーマンとなった伊東純也選手を取り上げ、その活躍とサクセスへの夢を描く内容だ。

伊東選手がその名を轟かせたのは、カタールW杯アジア最終予選。初戦から格下オマーンに不覚をとるなど苦境に追い込まれた日本だが、代表の右サイドに定着した伊東選手がホームの第4戦から躍動。自慢のスピードでオーストラリアを翻弄し、チームの立て直しとなる勝利に貢献する。

そして残り6試合で4連続ゴールを決めるなど、W杯最終予選で記録した12得点のうち7得点に絡む大活躍。日本の攻撃を牽引し、7大会連続となるW杯出場の立役者となった。

日本をW杯出場に導いた伊東選手の真骨頂が、スピードに乗ったドリブルよる縦突破。2人に囲まれても止まらず、そこから右サイド深くへ切り込んでの決定的なクロス。伊東選手の縦突破が日本代表の大きな武器となった。

チームに勝利をもたらすドリブルについて「(相手との)距離があいていたら何でもできるんで。クロスボールをあげたり、スピードで一気に置き去りにしたり」と豪語する伊東選手。卓越したスピードに巧みなフェイントが加わり、相手は止めることができない。

無名選手のサクセスストーリー

その類い希なるドリブル突破は、故郷である横須賀のサッカークラブで培われた。小学校1年でサッカーを始めた頃から足が速く、とにかくドリブルが大好きだった純也少年。人と違ったドリブルへの感性や執着心は並外れていたという。

だが6年生のときに受けた横浜FMジュニアユースのセレクションは不合格。サッカーを知っている優秀な選手が多くいる中で、ドリブルが得意というだけでは通用しなかったとのこと。

そのあと地元高校の部活を経て、2011年に進学した神奈川大学のサッカー部で活躍。ここでプレーヤーとしての成長を見せた伊東選手は、そのスピード突破が注目されてJリーグチームにスカウト。22歳で念願のプロデビューを果すと、持ち前のスピードで観客を沸かせるだけでなく、クロスの精度も磨いた。

19年にはベルギーのヘンクと契約をかわして海外挑戦。ベルギーリーグでアシスト王に輝き、多くのタイトル獲得に貢献するなど輝かしい実績を残す。その活躍により、22年7月にはリーグ・アンのスタッド・ランスへ、クラブ最高金額となる14億円の移籍金で引き抜かれる。

さらに日本代表でも主力のポジションを確立、W杯での活躍が期待される攻撃のキーマンとなった。「俺ほど無名でここまで来た人はいない。ひとつひとつ上がってきて、気づいたらここにいた」と感慨深げに語る伊東選手でした。

進化を続けるスピードスター

日本代表の、そして伊東選手の実力を測る指標となったのが、6月に行なわれた親善試合のブラジル戦。しかし武器とするドリブル突破は相手の速いチェックに阻まれ、いつもは通るクロスも足を伸ばされ失敗。チームの枠内シュートも0本に終わり、スコアこそ0-1だが世界ランク1位のブラジルに完敗する。まだまだ世界の強豪には通用しないことを、痛感させられた試合となった。

そこでさらなるレベルアップを目指して取り組んだのが、お尻の筋肉の強化。加速力を上げるのと、当たり負けしないフィジカルをつくるのを目的としたトレーニングだ。

その成果を実証したのが、リーグ・アンのモナコ戦。後半で訪れた縦突破のチャンスに、伊東選手は鋭い切り返しで方向を変えてクロス。急激な動きの変化に相手選手は追いつけず、強化された尻の筋肉が生んだスーパープレーだった。

また9月に行なわれた親善試合のアメリカ戦では、何度も右サイドを突破してクロスを供給。格上相手の2-0の快勝に貢献し、29歳にしてなおもの進化を見せつけた。

強豪2チームが同居する難しいグループに入った日本。伊東選手の縦突破と右サイドからのチャンスメークが、勝負の命運を握る。

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