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大森一樹監督 死去

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70歳での急逝

『ヒポクラテスたち』『ゴジラvsビオランデ』などで知られる映画監督の大森一樹さんが、12日に急性骨髄性白血病のため兵庫医科大学病院で亡くなった。

大森監督は昨年10月頃から体調不良を訴え、検査で白血病と診断され入院。今年4月に退院するなど一時体調を回復させたが、その後も入退院を繰り返し、8月には臍帯血さいたいけつの移植手術を受けたとのこと。

当初は今月9日に退院予定だったが、回復が進まず小康状態が続き、最期は家族に看取られて静かに息を引き取ったという。享年70歳。

青年監督の火付け役

大森さんは1952年生まれの大阪市東住吉区出身。医者の家庭で育ち、4歳のときに兵庫県芦屋市に引っ越し。京都府立医科大学医学部を卒業して、医師免許を取得する。

映画に興味を持ったのは、中学校3年の夏休みに『007は二度死ぬ』(67年)の撮影現場を間近で見学したのがきっかけ。高校時代に文化祭用の8㍉映画『革命狂時代』を製作。医科大学在学中の74年には16㍉映画『暗くなるまで待てない!』を撮り、各地で上映されて好評を得た。

78年には「城戸賞」受賞の脚本を自ら監督した『オレンジロード急行』(嵐寛寿郎、岡田嘉子主演)で商業映画デビュー。当時現役の医大生で26歳という戦後最年少デビューは、「青年監督の火付け役」として話題を集める。

医大を卒業した80年には、自身の学生時代の体験を基にした青春群像劇『ヒポクラテスたち』(古尾谷雅人主演)を発表。キネマ旬報の3位に選ばれるなど高い評価を受ける。

職人監督の仕事

80年代には『すかんぴんウォーク』『ユー★ガッタ★チャンス』『テイク・イット・イージー』の吉川晃司3部作、『恋する女たち』『「さよなら」の女たち』『トットチャンネル』の斉藤由貴3部作を手がけ、89年には特撮映画『ゴジラVSビオランデ』を監督。94年には当時売り出し中のSMAPを主演とした『シュート』を撮るなど、職人監督として数々の話題作を世に送った。

95年の阪神淡路大震災では芦屋の自宅マンションが被災。復興事業として『明るくなるまでこの恋を』を自主製作する。東京都内に事務所を構えながら、デビューからずっと芦屋を拠点に活動を行なっていた。05年からは大阪芸術大学芸術学部映像学科学科長を務め、後進の指導にも当たった。

15年製作の日本・ベトナム合作映画『ベトナムの風に吹かれて』(松坂慶子主演)が遺作となった。

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