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サッカー日本代表史 25. 18’ロシアWカップ

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サッカー日本代表史 25.「18’ロシアWカップ」

西野ジャパン、不安の船出

2017年12月1日、FIFAワールドカップ・ロシア大会の組み合わせ抽選会がモスクワで行なわれ、グループHに入った日本の対戦相手はコロンビア、セネガル、ポーランドと決まった。

コロンビアは前回のブラジル大会でも対戦し、屈辱の敗戦を喫した相手。セネガルはマネやクリバリら、欧州で活躍するタレントを揃えたアフリカの雄。ポーランドは世界屈指のストライカー、レバンドフスキーを擁したチーム。いずれ劣らぬ難敵との組み合わせだった。

前大会G/L敗退の雪辱を期す日本だが、大会を2ヶ月後に控えた18年4月7日、代表監督のハリルホジッチが電撃解任。W杯本番の指揮はサッカー協会技術委員長を務めていた西野朗に託される。

だが日本代表を立て直すべく、西野監督に与えられた時間は実質1ヶ月のみ。5月7日には西野ジャパン初陣となるガーナ戦が行なわれるも、何も得るものがない内容で0-2の完敗。ここにきての監督交代に不安だけが残った。

同月31日にはW杯メンバー23名が発表され、ハリル時代に冷遇された本田圭祐、香川真司、岡崎慎司、乾貴士のほか、長谷部誠、長友佑都、川島永嗣らのベテランが順当に選出される。その一方、W杯出場決定に貢献した浅野琢磨や井手口陽介、新鋭の中嶋翔哉といった若手が落選。急遽のチーム作りに、経験値と実績に重きを置いた人選となった。

このあと日本代表は合宿地のオーストリアでスイス戦、パラグアイ戦とテストマッチを重ねた。その結果、主力と期待された本田、宇佐美貴史、槙野智章らはパフォーマンス不足で先発候補から外され、原口元気、柴崎岳、昌子源がレギュラーに昇格する。

こうしてワントップに大迫勇也、2列目に香川、乾、原口、ダブルボランチに長谷部、柴崎、CBに吉田麻也、昌子、両SBに長友、酒井宏樹、GK川島の布陣が固まっていく。

しかしW杯本番を目前にしてもなお、西野ジャパンへの期待の声が高まることはなかった。

コロンビアとのリベンジマッチ

18年6月、Wカップ・ロシア大会が開幕。19日に行なわれた初戦の相手は、前回ブラジル大会での惨敗も記憶に新しいコロンビア。日本にとってのリベンジマッチとなったが、4年前の主役であるハメス・ロドリゲスはふくらはぎの故障により先発を回避。代わってキンテーロがトップ下に起用されていた。

開始早々の3分に試合は大きく動き、浮き球から相手DFに競り勝った大迫がゴール前に抜け出してシュート。一旦GKオスビナに弾かれるも、こぼれ球を拾った香川がすかさずシュート。たまらず右手を伸ばしたC・サンチェスのハンドを誘い、PKを獲得する。

これを香川自身が落ち着いて沈め、思わぬ展開で日本が1点を先取。しかもハンドを犯したC・サンチェスは一発レッドで退場、日本は立ち上がりから大きなアドバンテージを得ることになった。

このまま優位に試合を進めるかに思えた日本だが、慎重なボール回しとコロンビアの巧みな対応に阻まれ攻撃は停滞。数的有利を生かせないまま時間が過ぎていった。

その37分、後ろ向きで長谷部へぶつかったファルカオが大袈裟に倒れ込むと、フェイクプレーに騙された主審がファールの判定。Pエリア前右45度の位置に、コロンビアのFKが与えられた。

キッカーを務めるのはキンテーロ。短い助走から放ったグラウンダーのシュートは、ジャンプした壁の下をすり抜け、川島の反応も間に合わずゴールイン。南米らしいしたたかなプレーにより、同点に追いつかれてしまう。

こうして前半を1-1で折り返すと、後半の59分、コロンビアはキンテーロに代えてハメス・ロドリゲスを投入。前回の対戦でも途中出場から大きく流れを変えたハメスの存在は、日本の脅威になると思えた。

ここから戦況は動きを加速し、西野監督は局面を打開すべく70分には香川に代えて本田を投入。その直後の73分、本田のサイド展開から酒井がシュート。これはオスビナに防がれるも、日本は左CKのチャンスを得る。

CKを蹴るのは本田。その左足から放たれたキックを、密集を制した大迫が頭で捉えて勝ち越し弾。ようやく日本の勝利が見えてきた。

78分にはゴール前でハメスにボールが渡り、あわやの場面を迎えるも、大迫が足を伸ばして懸命のブロック。最大のピンチを逃れた日本は、終盤に山口蛍と岡崎を投入して逃げ切り体勢。幸運に恵まれたものの2-1と勝利し、南米勢へのW杯初白星を記録するとともに、4年前のリベンジを果した。

セネガル戦 粘りの引き分け

6日後に行なわれた第2戦は、ポーランドを2-1と下したセネガルとの対戦。日本は第1戦と同じメンバーで試合に臨んだ。

序盤はフィジカルとスピードで押してくるセネガルに対し、日本が粘り強く応戦。しかし11分、ワゲのクロスをヘッドでクリアしようとした原口が、後方のサバリにフリーでボールを渡してしまうミス。さらにサバリのシュートを川島がパンチングミス、詰めてきたマネにボールが当たって先制点を許してしまう。

ミスが重なって失点を喫してしまった日本だが、それでも動揺することなく反撃を開始。34分には柴崎の大きなサイドチェンジから長友がゴール前へ切り込み、ボールを渡された乾が右ポスト内側を打ち抜くシュート。日本は前半のうちに同点としてハーフタイムを折り返す。

後半に入ると日本が攻勢を強めるが、60分のチャンスには大迫がクロスを空振り。64分には乾のシュートがクロスバーを直撃し、得点機を逃してしまう。すると71分、日本ゴール前の攻防からサバリが股抜きクロス。大外からフリーで走り込んできたワゲに豪快に叩き込まれ、またもリードを奪われてしまった。

直後の72分、日本は香川との交代で本田を投入。75分には原口に代えて岡崎をピッチに送り込んだ。78分、相手ゴールキックを拾った昌子が岡崎に縦パス。そこからのポストプレーで大迫がクロスを上げると、ボールに反応したGKと岡崎が交錯。こぼれ球に追いついた乾が折り返し、中央でフリーとなった本田が狙いすましたシュート。本田の3大会連続ゴールで再び追いついた。

このあとスコアが動くことなく、試合は2-2の引き分けとなった。一方の会場ではコロンビアがポーランドに3-0の勝利。グループ2試合を終えた時点で、日本はセネガルと首位で並んだ。

賛否を呼んだポーランド戦

3日後に行なわれた第3戦は、連敗ですでに敗退が決まっていたポーランドとの対戦。引き分けてもグループ突破となる日本は、決勝ステージを見据えて先発6名を入れ替え。CBに槙野、ボランチに山口、2列目右に酒井高徳、左に宇佐美、2トップには岡崎と武藤嘉紀が起用された。

日本は勝利を目指して積極的に攻めるも、全敗を防ぎたいポーランドの抵抗に遭い苦戦。32分にはカウンターからあわやのヘディングシュートを許すが、鋭く反応した川島がゴールラインぎりぎりで弾いてピンチを逃れる。

0-0で折り返した後半開始の47分、足を痛めた岡崎に代えて大迫を投入。依然として日本のプレーは精彩を欠き、59分には連携の乱れからボールを奪われ山口がファール。Pエリア前左にFKのチャンスを与えてしまう。

ここからのセットプレーで、日本のマークが簡単に剥がされ失点。同時刻に行なわれていたセネガルとコロンビアの試合は0-0で進んでおり、グループ突破に黄色信号が点灯。西野ジャパンに1点の重みがのしかかった。

このあと必死の反撃を試みるも、74分には再びカウンター攻撃を受けて大ピンチ。右サイドをフリーで抜けたグロシツキから、中央を並走するレバンドフスキーへ決定的なクロス。ここは吉田が体を寄せてシュートミスを誘い、敗退危機となる2点目を防いだ。

その直後、日本ベンチにセネガルが先制点を奪われたとの一報がもたらされる。この時点でセネガルとは勝点、得失点差、総得点、当該対戦で並ぶも、今大会から導入された “フェアプレーポイント” で日本がリード。西野監督は難しい判断を迫られることになる。

終盤に入った82分、武藤に代えて長谷部を投入。アンカーの位置に入った長谷部は、ベンチからの「(スコアは)このままでいい。イエローカードだけには気をつけろ」の指示をピッチに伝達。有効な手段の見つからない日本は、決勝トーナメント進出を運任せの作戦に賭けざるを得なかった。

日本が自陣でボールを回し始めると、終了まで5分以上を残しての時間稼ぎに会場は大ブーイング。それでも選手たちは淡々と使命を敢行し、このまま0-1の敗戦で試合を終了。他会場セネガルのスコアも動かなかったため、紙一重で日本の2位通過が決定する。

だがW杯で勝ち抜くためのリアリズムに徹したとはいえ、アグレッシブさを欠いたやり方は大きな批判を受けた。これまで攻撃サッカーを標榜してきた西野監督にとっても、忸怩じくじたる思いの残る選択だった。

汚名返上を懸けたベルギー戦

中4日で行なわれた決勝トーナメント1回戦は、アゾフ海近郊の街ロストフ・ナ・ドヌのロストフ・アリーナで行なわれた。

対戦相手はグループGを3戦全勝で勝ち上がったベルギー。トップクラスのタレントを擁して「赤い悪魔」と呼ばれる優勝候補を相手に、日本はポーランド戦の汚名をすすぐチャンスを狙って試合に臨んだ。

スターティングメンバーは第1戦、第2戦と同じ顔ぶれ。試合はベルギーのペースで進み、ルカクの強靱なフィジカルとE・アザールのドリブルに苦しめられるも、日本は粘り強く対応して前半を無失点で終えた。

そして後半立ち上がりの48分、乾のインターセプトから柴崎が右サイドを走る原口へ展開。微妙に変化をつけたスルーパスはDFベルトンゲンの対応を誤らせ、ゴール右に抜け出した原口がワンフェイントからのシュート。GKクルトワの逆を突いて日本の先制ゴールが生まれた。

サポーターの興奮も収まらない52分、コンパニーのクリアを拾った香川のキープから後方の乾にボールが渡ると、右足一閃のミドルシュート。右ポスト内側のネットを突き刺す追加点が決まった。

強豪相手に2点をリードした日本。西野監督はキャプテンの長谷部から「どうしますか」と指示を求められるが、明確なプランを伝えることが出来なかった。指揮官も選手も、想定外な場面への準備が足りていなかったのだ。

ベルギーは日本の弱点を突くべく、65分に194㎝のフェライニと187㎝のシャドリを投入。持ち味のグラウンダーパスによる速攻から、高さ勝負の空中戦へと戦術を切り替えてきた。日本はそれに対応できないまま、69分にはふわりとしたヘディングボールをゴール右隅に落とされ失点。ベルギーの圧力を受けて混乱をきたし、クリアミスが続いての失点だった。

さらに74分、Pエリア左サイドでボールをキープしたアザールのクロスを許すと、フェライニに頭で合わされ同点。190㎝のルカクを含めハイタワーのターゲットを揃えるベルギーに、日本は対抗のすべがなかった。

それでも西野監督は、槙野や植田直通といった高さのあるDFを入れて、守りに入ろうとはしなかった。まだ時間を残した段階で受け身になるより、能動的に攻め続けることを選んだのである。

ロストフの教訓

81分には疲労の見えた柴崎と原口に代えて、本田と山口の2枚を同時投入。西野監督が2人に送った指示は「強気に行け」というものだった。このあとベルギーの迫力ある攻撃に押されながらも、日本は落ち着いたボール回しで対処する。

そして延長戦に入るかと思えた後半のアディショナルタイム、日本はゴール正面30mの位置でFKを獲得。本田の蹴った無回転シュートはゴール左隅を襲うが、クルトワが横っ飛びで阻止。ボールがエンドラインを割ったため、日本のチャンスは続いた。

左CKを蹴ったのも本田。だがコロンビア戦の分析により軌道を予測していたクルトワは、そのボールを難なくキャッチ。警戒心の薄い日本DFを尻目に素早くフィードを送ると、すでに「赤い悪魔」たちは一斉に走り始めていた。

ボールを持って駆け上がったデ・ブルイネは、前方に立ち塞がる山口を引きつけ、右サイドを疾走するムニエにパス。そこからのクロスを長谷部に寄せられたルカクがスルーすると、後方から迫ったシャドリが押し込みゴールが決まった。「ロストフの14秒」と呼ばれた、絵に描いたような高速カウンターによる逆転劇だった。

直後のリスタートで試合終了を告げるホイッスルが吹かれ、日本の選手たちは力なくピッチに崩れ落ちた。悲願のベスト8進出へ手が届きそうになりながら、ベルギーの底力にねじ伏せられてしまったのだ。

優勝候補をあと一歩まで追い詰めたとはいえ、現状ではこれが日本の限界。世界の大舞台で勝ち抜くには何が足りないのか、多くの教訓を学んだ試合となった。

悔しい敗戦のあと、西野監督が「次はお前がやる、お前に託す」と声を掛けたのは、ピッチサイドでともに涙を飲んだアシスタントコーチの森保一。日本代表の新たな挑戦はもう始まっていた。

次:サッカー日本代表史 26. 森保時代 第一期

カテゴリー サッカー史

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