ブラジルで王様と呼ばれ、史上ただひとり3度のW杯優勝を経験。その圧倒的なプレーで「世界最高のサッカー選手」と謳われた元セレソンFWのペレ(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)氏が、サンパウロ市内の病院で多臓器不全により死去。日本時間30日に自身のSNSから訃報が発表された。
ペレ氏は17年頃から体調を崩し、21年9月には結腸腫瘍摘出手術を受けていたとのこと。以降闘病生活を送り、12月に入って大腸癌の転移による病状の悪化が伝えられていた。体調が思わしくない中でもカタールW杯を戦うブラジル代表にインスタグラムで発信し続け、大会の終了とともに82歳の生涯を閉じることになった。
全身バネのような抜群の身体能力と、卓越した技術でゴールを量産。創造性あふれるプレーと芸術的なゴールでファンを魅了し、サッカーを隆盛に導いた功労者だった。
偉大なレジェンドの訃報には、メッシ、ネイマール、エムベパ、ベッケンバウアー、釜本邦茂らを始め、多くのサッカー人から死を悼む声が寄せられている。
1940年生まれのブラジル南東部・トレス・コラソンエス出身。17歳で58年W杯スウェーデン大会に出場し、歴史的ゴールを挙げてブラジルを初優勝に導く鮮烈デビュー。W杯には4度出場し、そのうち3大会で優勝を経験。彼の背負った10番は、その後エースナンバーとして世界で定着した。
15歳でブラジルのサントスFCに入団し、長らくチームの象徴として活躍。同クラブの黄金期を築く。75年からは北米リーグのニューヨーク・コスモスでプレー。77年に引退するまで、生涯1281ものゴールを記録した(非公式戦を含む)とされる。
引退後はサッカー界を越えたスポーツの象徴として活動し、ブラジルのスポーツ大臣やユニセフ親善大使などを歴任。社会的貢献の分野でも高い名声を残した。日本には何度も来日し、釜本邦茂さんらと親交を結んだ。
ブラジルのボルソナロ大統領は3日間の喪服を宣言し、故郷のトレス・コラソンエス市は、7日間の喪に服すことを決めたとのこと。ペレさんの棺は23年1月2日、サンパウロ州サントスに本拠を置くサントスFCのホームスタジアムに運ばれ、24時間市民の弔問を受けるという。
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