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小林正樹監督「切腹」

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小林正樹監督の傑作時代劇

62年(昭和37年)公開の松竹映画『切腹』は、滝口康彦の小説『異聞浪人記』をもとに製作された重厚な時代劇。カンヌ国際映画祭では審査員特別賞を受賞した。

『黒い河』(57年)『人間の条件』シリーズ(59~61年)などの作品で知られる社会派、小林正樹監督による初の時代劇で、脚本は『羅生門』(50年)『日本のいちばん長い日』(65年)『八甲田山』(77年)等を手がけた名シナリオライターの橋本忍。

落ちぶれながらも武士道精神に生きる男の美学と、武家社会の虚飾と非人道性を鋭く批判した日本時代劇の傑作。大立ち回りの末、壮絶な最期を遂げる浪人の津雲半四郎役に仲代達矢。冷徹な井伊藩家老の斎藤勘解由かげゆ三國連太郎が演じている。

あらすじ

時代は江戸初期、寛永七年(1630年)の十月十二日。徳川譜代の名門、井伊家の江戸屋敷に津雲半四郎(仲代達矢)と名乗る男が現れ、「窮迫の浪人生活で生き恥をさらすより、潔く腹かっさばいて相果てたいゆえ、玄関先を拝借したい」と申し出る。

これをたかりの手段と見た家老の斎藤勘解由(三國連太郎)は、先日同じ理由で訪れた若い浪人・千々岩求女もとめ(石濱朗)の顛末を半四郎に話して聞かせた。

他家では金子を与えて厄介払いするところを、井伊家は求女の思惑を見透かしての切腹を応諾。生活のため刀を売り払っていた求女は追い詰められ、脇差しの竹光たけみつを抜くと無理矢理に自分の腹へと突き刺した。そして介錯されることのないまま悶え苦しみ、最後は自分の舌を噛み切って絶命したのである。

勘解由から悪いことは言わぬから帰れと促されるも、「自分は求女とは違う」と承知しない半四郎。その頑なな態度に腹を立てた勘解由は、浪人の要求を受け入れて切腹の準備をさせる。

いざ切腹の時にあたり、半四郎は井伊家の家臣である沢潟おもだか彦九郎(丹波哲郎)を名指しで介錯人に希望する。しかし病気により彦九郎が出仕していないと聞かされ、続けて矢崎隼人、川辺右馬介の名を出すが、奇妙なことにいずれも病欠とのことだった。

実は半四郎の娘である美保(岩下志麻)は、求女の妻。求女は病気を患った妻と乳飲み子を助けるため、恥を忍んで井伊家を訪れていたのだ。

半四郎は残酷な最期を遂げた娘婿の無念を晴らすため、求女をなぶりものにした沢潟たち三名を襲い、切り取った彼らのまげを懐中に携えて江戸屋敷に現れたのである。

滅びゆく戦国侍の美学

仲代と三國ががっぷり四つに組み、この二人の交互の語りを通して、武家社会の建前と非人間性があぶり出される。また何を企んでいるか分からない仲代の不穏さは不気味で、物語全体に緊張感がほとばしっている。

そして求女の竹光による切腹シーンは、観客にもリアルな痛々しさを感じさせる迫真の場面。落ちぶれながらも武士道精神に生きる侍の “矜持” を描き出している。

仲代達矢演じる津雲半四郎と丹波哲郎演じる沢潟彦九郎の決闘シーンは、殺陣用の模擬刀ではなく真剣が使われたとのこと。まさに命がけの撮影となった。ちなみに半四郎による下手の構えは「八掛の構え」と呼ばれているそうだ。

クライマックスは、大勢の井伊家臣を相手に仲代が大立回りを演じての壮絶な殺陣シーン。その豪快でリアルなタッチは、時代劇に新風を送り込んだ。最後に半四郎が鉄砲隊に仕留められる場面は、戦国時代を生き抜いた老侍の ”滅びの美学” を昇華させたものだと言えるだろう。

緻密な設定が光る橋本忍の脚本の他、名キャメラマンの宮島義勇、音楽家の武満徹と優秀なスタッフが集結。重厚な仕上がりの傑作時代劇となった。

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