スポンサーリンク
スポンサーリンク

58年W杯得点王 ジュスト・フォンティーヌさん死去

スポンサーリンク
スポンサーリンク
フランスサッカー界のレジェンド

W杯得点王で1大会の最多得点記録を持つフランスサッカー界のレジェンド、ジュスト・フォンティーヌ(Just Louis Fontaine)さんが死去したことが、1日に仏メディアから伝えられた。享年89歳。

フォンティーヌさんは唯一のW杯出場となった58年スウェーデン大会で、2回のハットトリックを含む13得点を記録。これは現在でも1大会の最多得点レコードである。

たび重なる怪我によりその現役生活は短かったが、鋭いダッシュ力と左右の強烈なシュートでゴールを量産。クラブではフランスのニースやスタッド・ランスのストライカーとして活躍した。

スタッド・ランスの黄金期を支えたエースストライカー

1933年8月18日、モロッコ中央部の都市マラケシュで生まれる。フランス系の父親とスペイン系の母親を持ち、7人兄弟の中で育った。

モロッコの名門、USMカサブランカでアマチュア選手としてのキャリアを始め、モロッコ選手権制覇やスーパーカップ優勝などに貢献。その活躍がフランスのクラブ関係者の目に止まり、20歳でデヴィジョン・アン(現リーグ・アン)のOGCニースへの移籍を果す。

ニース1年目の53-54シーズンは、公式戦31試合20ゴールの活躍でクゥープ・ドゥ・フランス(フランスカップ)優勝に貢献。翌54-55シーズンも32試合22ゴールと安定した成績を残した。

55-56シーズンはアルジェリア戦争による兵役でシーズン途中にチームを離れるも、21試合9ゴールの成績でリーグ優勝に寄与。その活躍が認められ、56-57シーズンには当時全盛期を誇っていたスタッド・ランスと契約する。

スタッド・ランスではレアル・マドリードに引き抜かれたレイモン・コパの穴を埋め、公式戦31試合30ゴールの大活躍。翌57-58シーズンは32試合39ゴールとさらに凄みを増し、初の得点王を獲得するとともに、リーグ戦とフランスカップの2冠制覇の立役者となった。

58-59シーズン、スタッド・ランスは欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)の決勝に進出。レイモン・コパ、ディ・ステファノフランシスコ・ヘントらを擁するスター軍団で大会3連覇中のレアル・マドリードに0-2と敗れて準優勝に終わるが、フォンティーヌは10ゴールを挙げて得点王に輝く。

レイモン・コパが古巣に復帰した59-60シーズンには、28ゴールで2度目のリーグ得点王を獲得し、2季ぶりとなるリーグ優勝に貢献。スタッド・ランスのエースストライカーとして、チームの黄金期を支えた。

W杯1大会・最多得点記録の保持者

モロッコとフランスの二重国籍を有していたフォンティーヌは、53年12月のルクセンブルク戦でフランス代表デビュー。このデビュー戦でハットトリックを記録し、初陣を飾った。

58年6月にはWカップ・スウェーデン大会に出場。当初はスタッド・ランスの同僚でもあるルネ・ビラールのサブ扱いだったが、彼が練習中に足首を怪我して帰国してしまったおかげで、代わりにフォンティーヌが起用されることになった。

すると緒戦のパラグアイ戦でいきなりハットトリックを記録、7-3の快勝に貢献する。司令塔のレイモン・コパと強力なホットラインを築いたフォンティーヌは、その後も得点を重ねベスト4進出の原動力となった。

準決勝のブラジル戦でも1ゴールを記録するが、17歳の新星ペレのハットトリックを許して2-5の敗戦。初の決勝進出とはならなかった。このあと西ドイツとの3位決定戦でも4得点を決め、フランスの過去最高成績となるベスト3に貢献。6試合13ゴールの活躍で大会得点王に輝き、この年のバロンドールでも3位(1位はレイモン・コパ)に選ばれる。

13ゴールは現在でもW杯1大会の最多得点記録を保持しているが、通算得点でも70年、74年大会に出場したゲルト・ミュラーに抜かれるまで最多だった。(現在はミロスラフ・クローゼの通算16ゴールが最多)

引退後は指導者へ

60年以降はたびたびの負傷に苦しめられ、61-62シーズンを最後に28歳の若さで現役を引退。フランスが62年W杯の欧州予選を突破出来なかったため、2度目となる大舞台に立つこともなかった。フランス代表では21試合30ゴールの記録を残す。

引退後は指導者の道に進み、67年にはフランス代表監督に就任。だが成績不振により短期政権に終わった。その後パリ・サンジェルマンやトゥルーズなどの指揮官を歴任したあと、79年にはモロッコ代表監督に就任。1980年のアフリカ・ネイションズカップでチームを大会3位に導く。

サッカー界の”レジェンド”の逝去を受け、仏サッカー連盟からは「フランスサッカー界は深い悲しみに包まれています。彼はフランスと世界のサッカー界に大きな足跡を残しました。ご家族や彼の愛する方々に心から哀悼の意を表します」のコメントが出されている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました