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元日本代表MF 本山雅志さん引退

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「黄金世代」の名ドリブラー

99年ワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)準優勝の主力で、黄金期の鹿島アントラーズを支えたメンバーの1人である元日本代表MF、本山雅志さんが引退を発表した。

現役時代は精度の高いパスと変幻自在のドリブで活躍。鹿島で多くのタイトルを獲得し、U-23代表でもシドニー五輪ベスト8入りに貢献している。

本山さんは、4月1日にカシマサッカースタジアムで行なわれたJ1第6節のサンフレッチェ広島戦に来場。試合前のトークイベントに出席し、その場で現役引退を発表。「たいした選手じゃなかったが、皆に支えられてここまで来た」とサポーターに感謝の言葉を述べた。

黄金期・鹿島アントラーズの10番

1979年6月生まれの福岡県北九州市若松区出身。東福岡高校では主力としてインターハイ優勝、全日本ユース選手権優勝、全国高校選手権優勝の史上初となる3冠達成に貢献する。

その活躍により、98年には鹿島アントラーズへ入団。同期には小笠原満男、中田浩二、曽ヶ端準ら「黄金世代」のメンバーがいた。

99年にはフィリップ・トルシエ監督によってU-20日本代表に選ばれ、ナイジェリアで開催されたワールドユース選手権準優勝に貢献。その切れ味鋭いドリブルで注目され、小野伸二とともに大会ベストイレブンに選ばれた。

2000年にはシドニー五輪へ出場。スーパーサブとしてベスト8進出に貢献し、同年にはA代表にも選出。だが小野伸二、中田英寿、中村俊輔、稲本潤一、三都主と層の厚い中盤のポジジョンにあって存在感を発揮しきれず、02年日韓W杯、06年ドイツW杯への出場は叶わなかった。7年間のA代表歴で28キャップを刻むも、ゴールを記録することは出来なかった。

アントラーズではジーコやビスマルクから受け継いだ10番を背負ってプレー。J1リーグ優勝6回、Jリーグカップ制覇5回、天皇杯優勝5回など数々のタイトル獲得に貢献し、クラブの黄金期を中心選手として支えた。

2016年には18年間を過ごした鹿島を離れ、当時J2のギラヴァンツ北九州へ移籍。21年からはマレーシアのクラタン・ユナイテッドなどでプレーしていた。

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