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「サッカーの園」Jリーグ30周年SP 歴代最強チームはどこだ?

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Jリーグ30年の歴史

4月30日放送のBS1『サッカーの園 ~究極のワンプレー~』は、【Jリーグ30周年スペシャル 歴代最強チームはどこだ?】 Jリーグ30年の歴史を彩った数々のチームから「歴代最強チーム」を決める90分SP版。

スタジオには準レギュラー中澤佑二さんのほか、中村憲剛さん、岡野雅行さん、藤田俊哉さん、三浦淳宏さんら豪華メンバーが集結し、Jリーグの最強チームを語り合う。

番組にはこれまで登場したエピソードや映像が多く使われ、「サッカーの園 総集編」といった趣もありながら、Jリーグ30年の歴史を振り返る内容となった。

93年の鹿島アントラーズ

最初のノミネートは90年代の鹿島アントラーズ。ジーコレオナルド、ジョルジーニョらブラジル代表級のスピリットを受け継ぎ、常勝軍団の礎を築いた時代だ。

衝撃のデビューとなったJ開幕の93年、初の年間チャンピオンとなった96年、優秀なタレントが揃った97年と最強候補が挙げられる中、神様ジーコが選んだのは93年のチーム。その「究極のワンプレー」は、名古屋グランパスとの開幕戦、当時40歳のジーコがJリーグ第1号のハットトリックを決めた試合。

でもこのチョイスって、ジーコの思い入れが強いってだけじゃないの? いきなり最強チームの定義が揺らいでしまったけど、ともあれ【93年の鹿島アントラーズ】が1番目のエントリー。

98年のジュビロ磐田

第2のノミネートは98年のジュビロ磐田。多彩なタレントを擁し、鹿島との2強を争った時代である。このときドゥンガ、名波浩、藤田俊哉らの中盤を揃え、FW中山雅史がJ歴代最多の36ゴールを記録。1試合平均3.15得点の爆発的な攻撃力を誇ったチームだ。

その「究極のワンプレー」は、98年に4月に行なわれたセレッソ大阪との一戦。磐田はシンプルにパスを繋ぎ、エースの中山がJ1最多タイとなる5ゴールを挙げたゲームだ。7-1とリードした後半34分には、田中誠が奪ったボールを藤田、ドゥンガ、名波とパスを繋いで最後は藤田がゴール。磐田はJ1史上最多となる1試合9ゴールの記録を打ち立てた。

しかしこれほどの攻撃力を誇りながら、98年に年間王者となったのはライバルの鹿島アントラーズ。番組の言う「最強チーム」と「勝つチーム」は違うってことなんでしょうね。とにかく【98年のジュビロ磐田】が2番目のエントリー。

06年の浦和レッズ

第3のノミネートは、日本一熱狂的なサポーターとともにJ1初優勝を果した06年の浦和レッズ。その優勝の原動力となったのが、入団1年目から得点王を獲得したワシントン。浦和サポーターは、来日前に心臓病を患っていたワシントンを温かく応援。両者の関係に強い絆が生まれた。

その「究極のワンプレー」が、06年J1最終節のガンバ大阪戦。首位のレッズと2位のガンバによる、優勝を懸けたホーム埼玉での直接対決だ。試合は前半21分にガンバの先制を許すが、27分にワシントンのポスからポンテが同点ゴール。そして後半59分、三都主のクロスにフリオが頭で折り返し。それをワシントンがヘッドで逆転ゴールを叩き込む。

こうして “日本の赤い悪魔” が悲願のJ1初優勝。チームとサポーターとの強い絆で成し遂げた【06年の浦和レッズ】が、3番目のエントリーとなった。

12年のサンフレッチェ広島

第4のノミネートは、2012年のサンフレッチェ広島。現日本代表監督・森保一さんのもとで初の年間優勝を果し、同時にフェアプレー賞にも輝いたクリーンな王者だ。

「自陣で不必要なファールをしない」が森保監督のモットー。だがそんな監督を手こずらせたのが、熱血のディフェンダー森脇良太。闘志むき出しのプレーが彼の持ち味だが、熱くなりすぎてファールを貰うこともしばしば。そこでチームメイトが彼に声を掛け、冷静にプレーすることの大事さを悟らせる。

その「究極のワンプレー」が、12年5月のヴィッセル神戸戦。試合は荒れた展開となるも、相手ファールを受けた森脇はぐっと堪えて感情をコントロール。そして2-2の同点で迎えた後半アディショナルタイム、Pエリア前でボールを受けた森脇が、冷静にゴールを流し込み決勝点。

この【12年のサンフレッチェ広島】を象徴する場面が、4番目のエントリー。

20年の川崎フロンターレ

第5のノミネートは、史上最速で優勝を決めた2020年の川崎フロンターレ。この年のベストイレブンには川崎から9人もの選手が選ばれたという、Jリーグ最高のタレント軍団だ。

そして22年のカタールW杯にも、この中から山根視来、谷口彰悟、守田英正、田中碧、三笘薫と5名が選出。他にも中村憲剛、小林悠、大島僚太ら生え抜きの一線級を輩出するなど、選手発掘に定評を持つチームである。

そんな原石発見に手腕を発揮したのが、川崎スカウト部長の向島健さん。向島さんの選手の素質を見抜く極意は、想像を働かせてフロンターレでプレーする姿を思い描くことだという。こうして小林、谷口、大島らアンダー世代で代表歴がない選手が、フロンターレで活躍した。

向島さんが選んだ「究極のワンプレー」は、20年11月の横浜Fマリノス戦。後半のアディショナルタイム、自陣でのクリアボールを拾った三笘が一気のドリブル突破。60mの距離を巧みな足さばきで駆け抜け、フリーとなった小林へラストパス。鮮やかなゴールが生まれた場面だ。

今や世界的に知られるプレーヤーとなった三笘の始発点となった【20年の川崎フロンターレ】が、5番目のエントリー。

03年の横浜Fマリノス

第6のノミネートは、03年の横浜Fマリノス。岡田武史監督による指揮のもと、鹿島と磐田の2強時代を終わらせた日本リーグからの伝統チームだ。

岡田監督が選手に伝えたのは、「勝負の神様は細部に宿る」という哲学。そしてその目指すスタイルは、常に前へチャレンジするサッカー。岡田監督のポリシーを徹底的に教え込まれた久保竜彦さんは、鹿島戦でハットトリックを記録するなど、ストライカーとして覚醒する。

その「究極のワンプレー」は、03年のセカンドステージ最終節、ジュビロ磐田との試合。年間完全優勝の懸かった一戦だった。試合は前半2分に先制を許すも、後半50分にマルキーニョスのゴールで同点。そして終了直前のロスタイム、ライン裏で高く弾んだボールを、久保が頭で食らいついて劇的ゴール。逆転勝利で年間完全優勝を決めた場面だ。

それにしても久保さん、「あなたにとって岡田監督とは?」の問いかけに、「分かんねえな」とただひと言。さすが天然の大物は視聴者の期待を裏切らないな。とにかくこの【03年の横浜Fマリノス】が6番目のエントリー。

93年のヴェルディ川崎と、99年の横浜フリューゲルス

第7のノミネートは、93年のヴェルディ川崎。三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏、北澤豪らのタレントを揃え、Jリーグの創成期を彩ったスター軍団だ。

だがここで紹介されたのは「究極のワンプレー」ではなく、武田さん、北澤さん、前園さんのサッカーブーム時代に浮かれた姿。ちょっとした箸休めのコーナーとなってしまいました。

というわけで、サッカーバブル終焉とともに散っていった【93年のヴェルディ川崎】が7番目のエントリー。

最後のノミネートは、99年の横浜フリューゲルス。Jリーグ唯一のチーム消滅という出来事に遭いながら、天皇杯優勝で有終の美を飾った伝説のチームだ。

毎年上位に食い込む強豪クラブでありながら、そのアットホームな雰囲気もリーグ随一。それだけにチーム消滅の決定は、フリューゲルスの足跡を残そうとする選手の団結力を強めた。

その「究極のワンプレー」が、チーム最後の試合となる99年1月1日の天皇杯決勝、清水エスパルスとの一戦だ。1点をリードされて迎えた前半のロスタイム、山口素弘のパスから久保山由清が身体を反転させての同点弾。

劣勢から息を吹き返したフリューゲルスは、後半73分にも吉田孝行が逆転ゴール。守護神の楢崎正剛もエスパルスの攻撃を防ぎ、2-1で逃げ切って奇跡の勝利。チーム最後の試合を天皇杯優勝という快挙で飾った。

この選手全員が一致団結してチームの名前を刻んだ【99年の横浜フリューゲルス】が、最後にエントリーされた。

前園さんの「30周年の歴史の中で、1チームを選ぶのは無理」というお言葉で、今回は「究極のワンプレーNo.1」選定は無し。

でも個人的には、98年のジュビロ磐田と2020年の川崎フロンターレが双璧かな。

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