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逸ノ城 電撃引退

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春場所を控えての電撃引退

日本相撲協会は4日、今月行なわれる夏場所(14日初日)で西前頭13枚目に番付けされていた逸ノ城の引退を発表した。

逸ノ城は昨年の名古屋場所で初優勝を果したが、3月の春場所以降に持病の腰痛を悪化させ、稽古もできない状態だったという。師匠の湊親方(元幕内・湊富士)から慰留されるも、2日に引退を決断したとのこと。

引退発表後に行なわれた両国国技館の記者会見で、湊親方は「本人の体は本人しか分からない。何時間も話したが、どうしても無理だということだった」と電撃引退の経緯を説明。逸ノ城自身は、「体が言うことを聞かなかった、本当に申し訳ない。歩くのも横になるのもつらかった。残念です」と心境を語っている。

9年間の土俵生活で幕内優勝1回、十両優勝2回、殊勲賞3回、敢闘賞1回、金星9個の実績を残し、通算成績は408勝328敗73休みだった。

191㎝・200㎏超の「怪物」

1993年生まれの逸ノ城は、モンゴルの遊牧民出身。21年に日本国籍を取得し、逸ノ城駿たかしという本名を持つ。帰化前のモンゴル名はアルタンホヤグ・イチンノロブ。

少年時代にモンゴル相撲や柔道で見せた才能を日本の関係者に見いだされ、2010年に鳥取城北高校へ相撲留学。同校卒業後に実業団横綱のタイトルを獲得し、大相撲入り。14年の初場所(1月)で、幕下15枚目格付け出しの初土俵を踏んだ。

すると同年の秋場所(9月)で新入幕ながらいきなり優勝争いに加わり、13勝2敗の好成績で「怪物」と呼ばれて旋風を起こした。191㎝・200㎏越えの巨体を生かした右四つ攻めで上位と互角に渡り合うも、その重さがあだとなって長年の腰痛に苦しみ、出世を妨げられることになった。

それでも22年の名古屋場所では、同郷の盟友である照ノ富士と賜杯を争い、12勝3敗の成績で初優勝を飾る。だが翌秋場所後には師匠夫人への暴行疑惑が発覚し、湊親方との確執も噂された。

昨年末には新型コロナウィルス対策指針に違反し、出場停止処分を受けて今年の初場所を全休。場所前に腰を手術して臨んだ春場所(3月)は、14勝1敗で十両優勝を果して再入幕となったが、腰痛が回復せず今回の引退決断となった。

親方株取得の資格を有するも、引退後は相撲協会に残らず今後の活動は未定とのこと。湊親方は断髪式についての明言を避けており、逸ノ城との溝が埋まっていないことを窺わせた。

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