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上岡龍太郎さん死去

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関西のレジェンド芸人

テレビ司会者として関西を中心に人気を博した元タレントの上岡龍太郎(本名、小林龍太郎)さんが、5月19日に肺がんと間質性肺炎のため大阪府内の病院で亡くなったことが伝えられた。享年81歳。

上岡さんは2000年の芸能界引退後、一般人としてほとんど公的な場に現れることなく、悠々自適の余生を送っていた。だが13年に医師から「心筋梗塞の気配がある」と診断され、一時期は大好きなゴルフも控えていたという。その後再開し、数年前まで趣味のマラソンと共にプレーを楽しんでいた。

病気については親族以外に明かされておらず、長男で映画監督の小林聖太郞さんよれば、「昨年秋ごろ、積極的治療のすべなく本人も延命を求めていない」と知らされたとのこと。

人気絶頂期での引退

1942(昭和17)年3月生まれの京都市左京区出身。父親は弁護士という良家の息子だった。京都西高校時代にロカビリーへ傾倒し、卒業後はバンドボーイとして司会を務める。

59年には、ジャズ喫茶の司会で名を馳せていた浜村淳へ弟子入りを志願するも断られ、知り合いのロカビリーバンドを紹介される。翌60年には横山ノックに誘われて、バンド仲間の横山フックとともに「漫才トリオ」を結成。横山パンチの芸名でツッコミを担当した。

横山フックが脱退した63年には、その後釜として青芝フック(85歳)さんが加入。「パンパカパーン!・・・今週のハイライト」で始まる時事ネタを盛り込んだ漫才が評判を呼び、一世を風靡。ノックさんのボケを、上岡さんが知的かつセンス抜群の言葉でツッコんだ。

ノックさんが参議院選挙に出馬した68年にトリオは活動休止。ピンとなった上岡さんは70年代に司会としてブレイクし、「ラブアタック!」(76年、朝日放送)「花の新婚!カンピューター大作戦」(78年、関西テレビ)などのヒット番組を生み出す。

88年には「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送)が開始。探偵や企画に厳しいツッコミを入れる初代局長として親しまれ、引退まで出演を続けた。かたくなに関西での活動にこだわったが、87年開始の読売テレビ「鶴瓶上岡パペポTV」で東京進出。フジテレビの冠番組「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」(90年)で全国区となった。

その毒舌ゆえトラブルも頻発させたが、軽妙で痛快な語り口によるフリートーク芸は島田紳助や松本人志にも影響を与えている。

しかし芸能活動40周年を迎えた2000年、当時58歳とキャリアの絶頂期にありながら引退を宣言。「21世紀は私の時代ではない」と、全ての番組を降板して芸能界から退いた。

引退後は親しい人の慶事や弔事に姿を見せることはあっても、公の場での活動をすることは一切なかった。近年は甥っ子である漫才コンビ「ミキ」の活躍を楽しみにしており、周囲に「今、面白い漫才師おる?」と尋ねることもあったという。

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