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サッカーの話題

サッカー日本代表史 8. 新世代の台頭

W杯出場を逃した日本は、ロベルト・ファルカンを新監督に招聘。だが芳しい成果を残せず、1年足らずで日本を去って行った。この頃日本には、小倉、前園、城、川口、中田英らの新世代が台頭。28年ぶりに出場したアトランタ五輪では「マイアミの奇跡」を演じる。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 7. ドーハの悲劇

イラン戦の敗北で追い込まれた日本だが北朝鮮戦と韓国戦の連勝で息を吹き返し、W杯初出場を懸けた最終戦を迎える。そして運命のイラク戦、三浦知良と中山雅史のゴールで2-1とリーし、ついに日本は王手を掛ける。だがその先にはロスタイムの悲劇が待っていた。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 6. 狂い始めた歯車

W杯アジア最終予選を控え、左SBの都並敏史が負傷。代役探しに奔走するオフトジャパンだが、攻守のキーマン・都並の穴を埋められるような選手はついに見つからなかった。そして運命の最終予選がドーハで始まるが、イラン戦で完敗した日本は追い込まれてしまう。
サッカー人

日本の守護神 川口能活引退

24年の長きに渡りプロとして活躍してきた元日本代表GKの川口能活が、所属のJ3リーグSC相模原を通して今期限りでの現役引退を発表した。ストイックな姿勢でサッカーに取り組む選手として有名で、ライバル楢崎正剛と正GK争いをしながら4回のW杯・・
サッカーの話題

サッカー日本代表史 5. オフト改革

ようやくプロ化を果たした日本サッカー。代表監督に就任したハンス・オフトは、W杯初出場を目指してチームの改革に着手する。そしてラモス瑠偉の反発などを乗り越え、オフトジャパンは成長。そして92年のアジアカップ・広島大会では、初優勝の快挙を達成する。
外国映画

マイケル・チミノ「天国の門」

アメリカ西部開拓時代に起きた“ジョンソ郡戦争”を題材にした作品で、当初は1100万ドルの予算で制作される予定だった。しかしこだわりの強い完全主義者チミノは撮影にあたり要求をエスカレート、最終的に制作費は4400万ドルまで膨れ上がってしまう。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 4. 冬の時代

「冬の時代」と呼ばれる長い低迷期に突入した日本代表。アジアの厚い壁に阻まれ、W杯どころか五輪出場からも遠ざかり、エース釜本邦茂は代表を引退、期待の奥寺康彦もドイツに旅立っていった。だがW杯予選の韓国戦で木村和司のFKが炸裂、夢へ一歩近づいたかに思えた。
映画の人

史上最低の監督 エド・ウッド

史上最低の監督と呼ばれるエド・ウッドは、1950年代、主に低予算のスリラーやSFの自主映画を撮ってい男。映画に対する姿勢は大真面目なのに、実際の出来上がりはツッコミ満載。だが何があってもへこたれず、その奇妙で倒錯した楽観主義が愛される理由だ。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 3. クラマーの申し子たち

代表強化に行き詰まった日本蹴球協会は、ドイツからデッドマール・クラマーをコーチとして招聘。来日したクラマーは情熱と信念を持って指導にあたり、日本サッカー界に変革をもたらした。そして日本はメキシコ五輪で銅メダル獲得の快挙を達成、釜本邦茂が大会得点王に輝く。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 2. 激闘、日韓戦

終戦後、日本サッカーは国際舞台に復帰。FIFAへの再加入を許されると、Wカップ・スイス大会の予選に参加することになった。だがその日本の前に立ちはだかったのが、反日政策をとる李承晩政権の韓国。敵対心丸出しで挑んでくる隣国のライバルに、日本は苦戦を強いられる。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 1. ベルリンの奇跡

サッカー日本代表の黎明期と、FIFA加盟からベルリンオリンピック参加決定に至るまでの物語。そして運命のスウェーデン戦が開始、世界の強豪に圧倒され、前半を0-2とリードされる日本だが後半に反撃。「ベルリンの奇跡」と呼ばれた逆転劇は、世界を驚かせた。
スポーツ

昭和の人気横綱 輪島大士さん死去

第54第横綱として昭和の大相撲界で活躍した輪島大士さんが亡くなられていたことが分かった。死因は下咽頭がんによるものとされている。学生相撲出身としては唯一の横綱で、北の湖と共に輪湖時代を築き14回の優勝を果たした。性格は豪放磊落であり、・・・
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