サッカーの話題

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サッカー日本代表史 9. 広がる不安

ファルカンの後任として、加茂周が代表監督に就任。「ゾーンプレス」の新戦術を掲げて代表の強化に取り組むが、アジアカップで無策を露呈するなどその手腕が疑われた。そして中田英寿らの新戦力を加えた日本代表はW杯最終予選に臨み、苦闘の道のりを歩むことになる。
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サッカー日本代表史 8. 新世代の台頭

W杯出場を逃した日本は、ロベルト・ファルカンを新監督に招聘。だが芳しい成果を残せず、1年足らずで日本を去って行った。この頃日本には、小倉、前園、城、川口、中田英らの新世代が台頭。28年ぶりに出場したアトランタ五輪では「マイアミの奇跡」を演じる。
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サッカー日本代表史 7. ドーハの悲劇

イラン戦の敗北で追い込まれた日本だが北朝鮮戦と韓国戦の連勝で息を吹き返し、W杯初出場を懸けた最終戦を迎える。そして運命のイラク戦、三浦知良と中山雅史のゴールで2-1とリーし、ついに日本は王手を掛ける。だがその先にはロスタイムの悲劇が待っていた。
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サッカー日本代表史 6. 狂い始めた歯車

W杯アジア最終予選を控え、左SBの都並敏史が負傷。代役探しに奔走するオフトジャパンだが、攻守のキーマン・都並の穴を埋められるような選手はついに見つからなかった。そして運命の最終予選がドーハで始まるが、イラン戦で完敗した日本は追い込まれてしまう。
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サッカー日本代表史 5. オフト改革

ようやくプロ化を果たした日本サッカー。代表監督に就任したハンス・オフトは、W杯初出場を目指してチームの改革に着手する。そしてラモス瑠偉の反発などを乗り越え、オフトジャパンは成長。そして92年のアジアカップ・広島大会では、初優勝の快挙を達成する。
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サッカー日本代表史 4. 冬の時代

「冬の時代」と呼ばれる長い低迷期に突入した日本代表。アジアの厚い壁に阻まれ、W杯どころか五輪出場からも遠ざかり、エース釜本邦茂は代表を引退、期待の奥寺康彦もドイツに旅立っていった。だがW杯予選の韓国戦で木村和司のFKが炸裂、夢へ一歩近づいたかに思えた。
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サッカー日本代表史 3. クラマーの申し子たち

代表強化に行き詰まった日本蹴球協会は、ドイツからデッドマール・クラマーをコーチとして招聘。来日したクラマーは情熱と信念を持って指導にあたり、日本サッカー界に変革をもたらした。そして日本はメキシコ五輪で銅メダル獲得の快挙を達成、釜本邦茂が大会得点王に輝く。
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サッカー日本代表史 2. 激闘、日韓戦

終戦後、日本サッカーは国際舞台に復帰。FIFAへの再加入を許されると、Wカップ・スイス大会の予選に参加することになった。だがその日本の前に立ちはだかったのが、反日政策をとる李承晩政権の韓国。敵対心丸出しで挑んでくる隣国のライバルに、日本は苦戦を強いられる。
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サッカー日本代表史 1. ベルリンの奇跡

サッカー日本代表の黎明期と、FIFA加盟からベルリンオリンピック参加決定に至るまでの物語。そして運命のスウェーデン戦が開始、世界の強豪に圧倒され、前半を0-2とリードされる日本だが後半に反撃。「ベルリンの奇跡」と呼ばれた逆転劇は、世界を驚かせた。
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