映画の話

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映画の話

アナザーストーリーズ「犬神家の一族~・・・」

横溝正史原作『犬神家の一族』は角川映画第1弾として1976に公開され大ヒット、その後の角川ブームの嚆矢となり日本映画界にも大きな影響を与えた作品である。番組では角川春樹・市川崑・石坂浩二の3人に焦点を当て、この映画の成り立ちが語られていた。
映画の話

春日太一著「鬼才 五社英雄の生涯」

五社英雄と言えば、人気ドラマ『三匹の侍』やリアルで豪快な殺陣で知られる映画『人斬り』などの時代劇が思い浮かぶが、なんと言ってもその名を世に知らしめたのが、82年の映画『龍院花子の生涯』だ。侠客一家を描いた重厚な映像と情念を描く物語が話題を読んだ。
日本映画

「浮草」と宮川一夫

小津安二郎監督と組んだ唯一の作品が1959年公開の『浮草』。小津がたまたま大映で映画を撮ることになり、この顔合わせが実現することになった。主演は京マチコと中村鴈治郎で、当時26歳の若尾文子が息子役の川口浩を誘惑する女性を艶やかに演じている。
日本映画

溝口健二「雨月物語・山椒太夫・近松物語」

『羅生門』のベネチア映画祭グランプリ獲得で、大映社長の永田雅一は外国映画賞の影響力の強さを悟る。そこで既に巨匠としての名声を持っていた溝口に、賞狙いで撮らせた作品が1953年『雨月物語』だ。この作品でカメラマンをしているのが宮川一夫である。
外国映画

マイケル・チミノ「天国の門」

アメリカ西部開拓時代に起きた“ジョンソ郡戦争”を題材にした作品で、当初は1100万ドルの予算で制作される予定だった。しかしこだわりの強い完全主義者チミノは撮影にあたり要求をエスカレート、最終的に制作費は4400万ドルまで膨れ上がってしまう。
外国映画

スピルバーグと大ヒット映画「 E.T. 」

少年時代に両親の離婚を経験したスピルバーグは、内向的な性格ゆえに寂しさを空想で紛らわしていた。その話し相手となった想像上の生き物が『E.T.』のキャラクターの元となっている。それを脚本のメリッサ・マティスンが感受性豊かな物語に仕立てた作品。
映画の話

黒澤明 樹海の迷宮

黒澤明監督は10年間の雌伏を経て、ソ連から依頼された新作映画の撮影に取り掛かる。シベリアの厳しい環境で苦闘しながら『デルス・ウザーラ』製作に取り組む様子を赤裸々に伝えるのが、野上照代らの日記を元に編纂した撮影日誌『黒澤明 樹海の迷宮』である。
映画の話

黒澤明 失われた10年

黒澤明には失われた10年という時期がある。65年の『赤ひげ』から、75年に『デルス・ウザーラ』が公開されるまでの10年間のことだ。ハリウッド進出を目論んだ黒沢だが『暴走機関車』の企画が頓挫、『トラ・トラ・トラ』も監督解任の憂き目に遭ってしまう。
映画の話

黒澤明 没後20年

国際的に知られた日本映画の巨匠、黒澤明監督が亡くなったのが1998年の9月6日でもう没後20年目になる。1978年12月20日、アメリカのコッポラ監督やルーカス監督などの協力を得て、黒澤明監督久しぶりの新作『影武者』の製作発表が行なわれた。
映画の話

「007は二度死ぬ」映画と原作に描かれた日本

日本を舞台としたシリーズ5作目、ルイス・ギルバート監督『007は二度死ぬ』(1967年)は、脚本家が1作目から担当しているリチャード・メイバウムに代わりロアルド・ダールが書いている。話のスケールを広げようとしてダールを起用した結果、映画‥・
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007「ドクター・ノオ」ジェームズ・ボンド誕生

62年公開の「007/ドクター・ノオ」。映画史に残る人気シリーズのきっかけとなった第1作を成功させたのは、初代ジェームズ・ボンド役に抜擢されたショーン・コネリーの魅力と、ボンド映画のスタイルをつくったテレンス・ヤング監督の功績が大きいだろう。
映画の話

たけしと映画論

本棚をひっくり返していたら、ビートたけしの『仁義なき映画論』という本が出てきた。時期としては平成2年から3年あたりの映画が取り上げられていて、北野映画でいえば『あの夏、いちばん静かな海。』の公開前後の頃だ。いろいろ感じる部分も多かった・・・
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