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映画「ぼくのエリ 200歳の少女」

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苦心の邦題

08年のスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』は、ヴァンパイア物の枠組みの中で、少年少女の交流と渇望、そして社会的問題から生まれる心の闇を描きだした作品。

監督は、ストックホルム出身のトーマス・アルフレッドソン。11年には、英国スパイ小説の巨匠ジョン・ルカレによる代表作『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』を映画化した『裏切りのサーカス』(イギリス・フランス・ドイツ合作)で監督を務めている。

原作はスウェーデン作家、ヨン・アイヴィテ・リンドクヴィストによるホラー・恋愛小説の『モールス』。その原題を直訳した『正しい者を招き入れよ』は、「ヴァンパイアは招き入れなければ、その人の家に入ることが出来ない」という、このジャンルに存在するルールを端的に表わしたもの。

原作を読めばそのタイトルに、2重3重の意味を含んでいることが分かる。だが、まんまのタイトルを使っても日本では通じないので、こんな邦題になったようだ。おそらく北欧の神秘的な雰囲気を出すため、ヴァンパイアという言葉を使いたくなかったのだろう。

このタイトルには、ミスリードだと批判もあったらしい。しかしピッタリな邦題をつけるといても難しく、配給会社の苦心が窺える。

ミステリアスな少女の秘密

物語の舞台は、80年代初めのストックホルム郊外。集合住宅で暮らす12歳のオスカー少年は、クラスメイトから陰湿ないじめを受け、一緒に暮らす母との関係も希薄、孤独な毎日を送っていた。そんなある日、隣の部屋に引っ越してきたのが、エリという名前の少女だった。

雪の降り積もった夜の中庭で、ミステリアスなエリと知り合ったオスカー。だが彼女に「友達にはなれない」と言われてしまう。しかしその言葉に反し、徐々に関係を深めていくオスカーとエリ。孤独な二人は互いに求め合い、欠けたものを補完し合うようになる。

しかしあることからエリがヴァンパイアであることを知ったオスカーは、彼女と一時距離を置くようになる。するとエリは、縫合された局部をオスカーに見せ、自分が去勢された男の子であることを悟らせる。

異質を受け入れる愛

映画では説明がないが、原作によるとエリは200年前に吸血鬼によって去勢され、ヴァンパイアにされた少年だったのだ。(ちなみにこの場面、日本公開版ではボカシを入れたため、意味が変わってしまったと問題になった)

エリの孤独と悲しみ、そして愛情への渇望を知ったオスカー。エリがヴァンパイアであろうと少年であろうと、彼女(彼)を招き入れて、全てを受け入れることを決意する。異質なものを背景ごと受け入れられるのが、本当の愛情というものなのだろう。

そして映画終盤に訪れるシーン。いじめっ子に押さえつけられ、プールの中で窒息しそうになるオスカー。突然その後ろで、切り刻まれたいじめっ子の身体がゆっくり沈んでいく。幻想的でショッキングなこの場面、凄惨さの中で見せる二人の幸せな顔は、善悪を越えた魂の結びつきを感じさせる。

北欧のくすんだ風景に、ジワジワと染みてくるような恐怖。そして全てを包み込むような雪国のイメージが美しく情緒的。その静けさと閉塞感の中で描かれる少年たちの無垢な愛情が、観る者の胸に訴えかけてくる。

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