サッカー日本代表史 20. 10’南アフリカWカップ




W杯組み合わせ決定と、川口能活サプライズ選出

09年12月4日、南アフリカ・ケープタウンでWカップ予選リーグの組み合わせ抽選会が行なわれ、日本の対戦相手はカメルーン、オランダ、デンマークと決まった。

岡田武史監督はWカップアジア予選を勝ち抜くと、目標として本大会ベスト4入りを掲げていた。たがアンチには「有り得ない」と非難の材料にされ、3戦全敗を予想する解説者やジャーナリストも多かった。

06年のドイツW杯で歴代最強と期待されたジーコジャパンは、結果惨敗に終わった。それ以来日本代表の人気も注目度も下降気味で、それは観客動員やテレビ視聴率に如実に表れていた。Wカップ本番は近づいていたが、期待値の低い岡田ジャパンに国民の盛り上がりはなかった。

翌10年の2月から4月にかけて、キリン杯や東アジア選手権などの試合が行なわれるが、日本は低調な戦いが続く。高い位置でプレスをかけ、素早く攻撃に移るという戦術が嵌まらず、薄くなった中盤を狙われて苦戦したのだ。岡田監督の手腕を不安視する声は、日増しに高まっていた。

本番1ヶ月前の5月10日、Wカップを戦うメンバー23人が発表された。サプライズとなったのが、怪我で長く実戦を離れていたGK川口能活の選出だった。岡田監督はWカップ経験の豊富な川口に、選手のまとめ役を期待してチーム・キャプテンを任せる。

本番直前のチーム改造

24日、国内最後の壮行試合となる韓国戦が行なわれ、サポータは1-3と敗れた2月の東アジア選手権の雪辱を期待した。だが朴智星によるスーパーゴールを見せつけられたのに対し、日本はいいところなく0-2で敗れてしまう。

プレーにキレを欠く中村俊輔はブレーキとなり、後半18には交替をさせられてしまった。2月にJリーグ復帰を果たした中村俊輔だが、それ以降コンディションは下降気味で足首の怪我も慢性化していた。Wカップ前の情けない試合に、スタンドからは罵声が飛んだ。翌日には監督の自虐的なコメントを捉え、進退伺いを出したと報道するメディアさえあった。

試合後のミーティングで岡田監督は選手に「W杯のため、チームを進化させる」と宣言した。中村俊はその瞬間、自分がレギュラーから外されることを予感する。そして数日後、日本代表がスイスに移り行なった事前合宿で、岡田監督は宣言通り大胆なフォーメーション変更を打ち出す。

30日に行なわれた強化試合イングランド戦で、岡田監督はDF前にアンカー阿部勇樹を置くフォーメーションを試した。GKも楢崎正剛から川島永嗣に交替、右サイドバックも攻撃的な内田篤人ではなく、守備的な今野泰幸が起用される。さらにゲームキャプテンには、これまでの中澤佑二に替わり長谷部誠が指名されていた。この新布陣の中に、中村俊がいたトップ下のポジションは無かった。

試合は強豪相手に1-2と敗れたが内容は悪くなく、岡田監督は新にシステムそれなりの感触を得る。非常に守備的な戦術だったが、今の日本の実力を考えれば現実的な選択だった。6月4日にはコートジボワール戦が行なわれ、驚異的な身体能力を誇る相手に手も足も出なかったが、仮想カメルーンとして日本は貴重な経験値を得ることになった。

ちなみにこの試合、闘莉王が接触プレーでドログバを骨折させている。たまたまコートジボワールとブラジルが同組だったため、ブラジル出身の闘莉王は一部のメディアにあらぬ疑いをかけられることになる。

Wカップ開幕の前日には調整試合として急遽ジンバブエ戦が組まれ、負傷した今野に替わり駒野友一が右サイドに起用された。そしてFWのポジションには、岡崎慎司に替わって初めてMFの本田圭佑が入った。本職ではないものの、フィジカルが強くキープ力のある本田をワントップに置き、ボールを当てることで右の松井大輔と左の大久保嘉人を上手く使い、攻めようという布陣だった。

中村俊を始め直前にレギュラーを外された選手の落胆は激しく、モチベーションの低下は避けられなかった。だが、ドイツWカップでのチーム崩壊を知る彼らは葛藤を胸の中に封じ込め、普段通りの態度でフォア・ザ・チームに徹する。もちろんキャプテン川口の彼らへのフォローも、チームの大きな支えとなった。

カメルーン戦の勝利と強敵オランダとの戦い

14日、日本の初戦となるカメルーン戦が、ブブゼラ鳴り響くフリーステイト・スタジアムで行なわれた。カメルーンの圧力は激しいものの単調で、経験と強靱さを持つ中澤・闘莉王のCBコンビが万全の対応を見せる。警戒していたエトーも左の長友佑都が上手く封じ、仕事をさせなかった。

そして39分、右サイド松井の切り返しからのクロスが、ゴール反対側にいた本田に渡った。本田は正確なトラップから冷静に左脚でシュート、日本が先制に成功した。

試合終了間際、カメルーンは同点を狙いパワープレーに出る。だがコートジボワール戦を経験していた日本はその攻撃を耐え抜き、1-0と逃げ切った。期待されていなかった岡田ジャパンの、嬉しいWカップ初戦の勝利だった。この勝利は日本に貴重な勝ち点3をもたらしただけでなく、選手たちの重かった雰囲気を一変させ、チームをひとつにさせたのだ。

日本の第2試合は、19日ダーバン・スタジアムでのオランダ戦だった。オランダはロッベンを負傷で欠くものの、カイトやファンペルシー、スナイデルといったタレントを擁するグループ最強のチームだった。

それでもカメルーン戦で自信を得た日本の組織は機能し、前半はオランダの攻撃を抑えた。だが後半に入った53分、一瞬の隙を見逃さなかったスナイデルがシュート、先制点を決められてしまう。この時GK川島は防げると確信し飛びついたが、ボールは彼の予測と反対の方向に曲がっていった。スナイデルの強烈なブレ球が生んだ、世界レベルのスーパーゴールだった。

64分には中村俊を入れ、日本は以前の布陣で同点を狙う。しかし強豪国に日本のパスサッカーは通用せず、ボールを奪われてのカウンターを何度も許してしまった。それでも日本はオランダ相手に健闘し、試合は0-1で終了した。

日本は敗北を喫したものの、強敵オランダをスナイデルの1点に抑えた意味は大きかった。これで予選最後のデンマーク戦で引き分けても、得失点差により決勝へ進めることになったのだ。

本田と遠藤 必殺のフリーキック

グループ予選突破を決める最終節、対デンマーク戦は24日ロイヤルバフォケン・スタジアムで行なわれた。岡田監督には引き分けではなく勝利を目指し、少しフォーメーションを替えることにした。アンカー阿部をボランチに上げ、攻撃の枚数を増やしたのだ。

予選突破に3点以上が必要なデンマークは、試合開始から積極的に攻めてきた。日本の攻撃的布陣は裏目に出て、ワントップのベントナーと2列目から飛び出すトマソンを捕まえきれず、何度もチャンスを作られる。危機感を覚えた遠藤保仁は岡田監督に進言、阿部をアンカーに戻し従来の布陣で仕切り直す。

守りを固め、リズムを取り戻した日本は反撃を開始した。13分に松井のシュートが塞がれると、14分には長谷部がバーをかすめるシュート、次第に日本が押し始めた。そして17分、トマソンの危ないシュートを逃れた直後、日本は右サイドにFKのチャンスを得た。

距離は30m・角度は45度、本田がボールの後ろに立ち狙いを定めると、助走をつけて左脚を一閃する。回転の少ないボールが揺れながら落下、GKセーレンセンの手をすり抜けゴール左ネットに突き刺さった。本田は歓喜するバックスタンド日本サポータ席に駆け寄り、雄叫びを上げる。

30分、ゴール前で大久保がファールを受け、再び日本はFKのチャンスを得た。「俺がいきます」と蹴る気満々の本田に、「今回は俺だな」と遠藤が制した。素直にキッカーを譲った本田は、ボール後方でポーズを取って相手の注意を引きつけた。

デンマークは本田の左脚FKを警戒、GKも壁も左側をケアしたため右側に隙が生まれた。「チャンスだ」と感じた遠藤が素早く右脚で蹴り上げると、ボールはニアサイドの壁を巻き綺麗な弧を描いてカーブする。虚を突かれたセーレンセンが慌てて飛びつくも届かず、遠藤の鮮やかなFKが決まった。

日本、決勝トーナメント進出

日本が2-0とリードし前半を折り返すと、後半デンマークは長身のベントナーをターゲットマンとし、シンプルな攻撃で得点を狙いに来た。52分、ベントナーが空中戦で中澤に競り勝ち、ボールを落とすとトマソンがシュート、川島の素早い反応でどうにか失点を防いだ。

この後デンマークはDFを減らし、長身FWを投入するなどパワープレーに出た。日本が相手の圧力に押され始めた80分、長谷部のチェックがファールとなりPKを与えてしまった。キッカーはトマソン。左を狙ったシュートは一旦川島が防ぐも、こぼれ球を再びトマソンに蹴り込まれ1点を返されてしまった。

だが試合も終盤、逆転が必要なデンマークに焦りからかミスが目立ち始める。87分、ドリブルで切れ込んだ大久保が本田へ浮き球のパスを送る。本田は切れ味鋭いフェイントで相手DFを翻弄、マイナスのパスを出すと、途中出場した岡崎に試合を決定づけるゴールが生まれた。

間もなく試合は3-1で終了、会心の勝利で日本は予選2位で決勝トーナメント進出を決めた。そして予選突破を悲観視していた日本のファンに「岡ちゃん、ごめんね」と言わせることになったのだ。

失意のPK戦 中村俊輔の代表引退

決勝トーナメント第一回戦、日本の対戦相手はパラグアイに決まり、29日にロスタフ・バースフェルド・スタジアムで試合が行なわれた。組織的な守備をベースとする両チームの戦いは、観客にとって消極的と感じられるものとなった。デンマーク戦での鮮やかな勝利がパラグアイを慎重にさせ、日本の攻撃も相手の硬い守備を破る力を持っていなかった。

動きの少ない状況に、岡田監督は岡崎や中村憲剛を投入して攻撃の活性化を図る。しかし、これまで守備的に戦ってきたチームの押し上げは弱く、たたみかけるような攻撃は生まれなかった。盛り上がりが少ないまま試合は延長に入り、ついに得点は生まれずに勝負はPK戦での決着となった。

PK戦はパラグアイが先攻、双方ゴールを決め日本の3人目・駒野がボールをセットした。駒野は高校時代から外したことがないという、隠れたPK職人だった。しかしこの時、少し力んだのかボールはバーを直撃、外した駒野は天を仰いだ。この後パラグアイは全員がPKを成功させ、3-5で日本の敗退が決まってしまった。

日本はWカップ予選を突破したが、守備的な戦いでだけでこの先に進むには限界があった。選手たちは次へのステージを目指し、「自分たちのサッカー」を掲げるようになる。

パラグアイ戦後、メディアに今後の代表活動を尋ねられた中村俊輔は「もういいよ」と呟くように答えた。長らく日本の10番を背負ってきた稀代のレフティーは、Wカップで一度も輝くことなく代表から去って行った。

次:サッカー日本代表史 21. ザッケローニ時代(前編)

カテゴリー サッカー史

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