鈴木清順監督「けんかえれじい」

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多感な若者の生き様とエネルギーを描く青春活劇

66年の『けんかえれじい』は、それまで多くの日活無国籍アクションを作ってきた鈴木清順監督が、戦前の旧制中学校を舞台に、多感な若者の生き様とエネルギーの発散を豪快かつユーモラスに描く活劇青春映画。

主役のキロクを演じるは当時22歳の高橋英樹。キロクの先輩で喧嘩の指南役スッポンに川津祐介。キロクが思いを寄せる下宿先の女学生道子を、のちに大橋巨泉夫人となる浅野順子が演じている。

冒頭からキロクの喧嘩シーンで始まるが、ここから理屈抜きでバンカラ学生たちの乱闘がテンポ良く描かれる。不親切なくらい説明が省かれているので、キロクとスッポンの関係とか喧嘩の理由とか、頭で理解する前に物語は進んでゆくが、それだけに勢いがある。

多感な青春時代の経験

下宿の軒先に干してある道子さんのセーラー服は、初心(うぶ)な学生にはイケズなおかず。意識のし過ぎで、彼女の前では妙に身体が硬くなるキロク。無邪気にピアノを教えるマドンナと、妄想に悶える硬派学生なんて、いにしえの青春映画の王道だ。

そして、桜の花が白く浮かび上がる夜の並木道で、ようやくキロクは道子と手を繋ぐが、それがこの後の騒動の原因に。桜は鈴木清順がよく使うモチーフだが、耽美派の映像作家らしい印象的なシーンだ。

終始喧嘩のシーンが繰り広げられるが、とにかく奇天烈でエネルギッシュ。学生同士の喧嘩なのにトラックを駆って出陣、手には竹槍・斧や鎌、その誇張ぶりと有り得なさが馬鹿馬鹿しくて楽しい。所々意味の分からない構図やカットも頻出、予定調和を嫌う即興に任せた感性が鈴木演出の面白さだろう。

と思ったら、衝動に駆られたキロクがズボンを下げ、誰もいない家でイチモツを操りピアノの鍵盤を奏でる。心地よいリズムとその快感で、果てたように喜悦の表情を浮かべるキロク。だが振り返ると視線の先には・・・後悔にさいなまれ自分を蔑むキロクであった。

性への衝動とそれに伴う戸惑いや自戒の念は、多感な時期を過ごした誰もが経験すること。思い当たる皆様も、多いことだろう。だがキロクの行為の大胆さと、若き高橋英樹の嬉々とした表情と演技に思わず笑ってしまう名場面だ。

このあとキロクはOSMS(岡山セカンドミドルスクール)団の副団長となるが、OSMSってそれ、オスメスの略じゃないの。

予定不調和の物語

物語は前半の岡山から、後半は会津若松に舞台が移る。そこで描かれるのは権威に刃向かうキロクの一本気な姿。だが終盤、飯屋で眼光鋭い男に出会う辺りから話は思わぬ方向へ。物語も終盤、突然キロクの下宿に道子が訪れ、別れを告げるという突飛な展開。

「ワイのお嫁さんになってや」と迫るキロクに「私、結婚できない身体なの」と拒みながらも嘆き悲しむ道子。前触れも伏線もなく、とってつけたような悲恋物語に観客は戸惑う。鈴木監督は新藤兼人の書いた脚本をどんどん替えていったらしいが、話の繋がりを気にしない大胆さは如何にもだ。

そこから一転、雪の中を駆け抜ける行軍と、その群れに押し倒される道子。時代は個人の思いを踏み潰し、戦争へと向かっていた。この一連のシーンの構図と造形がホントに独特。

さらに最後は二二六事件を伝える報道と、眼光鋭い男・北一輝の顔写真。風雲急を告げる事態に、導かれるようにキロクは東京へ、そして物語は後編に続く。・・・続かなかったけど。

さすがの清順節

分かり難さはあっても、映像の力強さで1本筋の通った作品に仕上げているのはさすが鈴木清順。だがこの作品の2年後、彼は変な映画を作る監督という理由で日活をクビになる。そのあともゴタゴタに巻き込まれ、十年間映画を作れない時期が続いた。

だが復帰後の80年に作った『ツゴイネルワイゼン』が評判となり、その個性的な風貌も相まってたちまち有名監督となる。そして難解な語りと即興的な演出や独特な映像センスで、彼の作る映画はカルト的人気を博すようになった。

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