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「皇帝」ベッケンバウアー死去

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サッカー界の巨星

サッカー界の巨星として知られた元西ドイツ代表主将のフランツ・ベッケンバウアー(Franz Anton Beckenbauer)さんが、1月7日に静養先のザルツブルグ(オーストリア)で亡くなったことが家族によって伝えられた。

ベッケンバウアーさんは2016、17年と2度にわたる心臓手術を受けており、近年は公の場に姿を見せることもなかったという。享年78歳。

これでディ・ステファノ(14年没)、クライフ(16年没)、マラドーナ(20年没)、ペレ(22年没)ボビー・チャールトン(23年没)に続き、サッカー界に君臨したレジェンドがまた帰らぬ人となってしまった。

栄光に満ちたキャリア

1960~70年代、西ドイツ代表とバイエルン・ミュンヘンで活躍。その高い技術と戦術眼、背筋を伸ばした優雅なプレースタイルで「カイザー(皇帝)」と呼ばれ、DFから攻撃参加するリベロのポジションを確立。主将としてクラブのチャンピオンズカップ(現CL)3連覇、代表の72年欧州選手権優勝や74年W杯制覇など、数々の偉業達成に中心的役割を果たし、2度のバロンドールにも輝く。

現役キャリアの晩年には北米リーグのニューヨーク・コスモスでプレー。「サッカーの王様」ペレともチームメイトとして競演している。

83年に現役を引退し、84年には西ドイツ代表の監督に就任。86年W杯メキシコ大会でマラドーナ擁するアルゼンチンに敗れて準優勝に終わるも、90年W杯イタリア大会では同じアルゼンチンにリベンジを果たして優勝。先日亡くなったブラジルのマリオ・ザガロに続き、選手と監督の両方でW杯優勝を経験した人物となった。

そのあとバイエルン・ミュンヘン会長、ドイツサッカー連盟会長、FIFA理事などの要職を歴任。サッカー界の重鎮として様々な活動に従事した。

こうしてサッカー人としてのキャリアを極めるが、15年には06年W杯招致に関する不正疑惑が取り沙汰されて検察に起訴される。さらに同年には愛息シュテファンを脳腫瘍で亡くして(46歳没)しまうなど、不運の晩年を送っている。

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