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元日本代表MF 遠藤保仁さんが現役引退を発表

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「黄金世代」の最終ランナー

稀代のゲームメーカーと呼ばれ、ガンバ大阪や日本代表でボランチとして活躍した遠藤保仁(43歳)さんが、9日に所属するジュビロ磐田の公式サイトを通じて23年シーズン限りでの引退を発表した。

遠藤さんは昨シーズン、J2リーグ21試合に出場して5アシスト(0ゴール)を記録。磐田の2季ぶりとなるJ1復帰に貢献したものの、指導者の道へ進む潮時だと考え今回の決断に至った。そのプロ生活は26年に及び、J1リーグ出場は歴代最多の672ゲーム(103得点)を誇っている。

遠藤さん自身のコメントはクラブの公式動画で配信され、「僕らしくないかな」と引退会見は行なわれないとのこと。昨年は高原直泰、小野伸二、南雄太ら世界ユース選手権準優勝の仲間たちが一挙に引退。これで現役の「黄金世代」メンバーは、稲本潤一選手(関東1部・南葛SC)ただ一人となった。

稀代のゲームメーカー

1980年1月28日生まれの鹿児島県桜島出身。3人兄弟の末っ子として育ち、次兄の遠藤彰弘さんも元プロサッカー選手。鹿児島実業時代に頭角を現し、卒業後の88年に横浜フリューゲルスへ入団。リーグ開幕の横浜マリノス戦でいきなりプロデビューを果たす。

しかしデビューを飾ったフリューゲルスは所属した1年で消滅。99年は京都パープルサンガに移籍し、その高い技術とクレバーな戦術眼が評価されてレギュラーに定着。だが2000年にクラブが2部降格となり、01年にはガンバ大阪へ移籍する。

ガンバでは西野朗監督が標榜する「攻撃的サッカー」の中核を担い、J1リーグ優勝2回、天皇杯優勝4回、Jリーグカップ優勝2回、アジアチャンピオンズリーグ制覇1回と数々のタイトル獲得に貢献し、14年には国内3冠の偉業を達成。日本年間最優秀選手賞とアジア年間最優秀選手賞に輝く。

読みの深いゲームメークと正確なフリーキックを武器としたが、GKの動きを見極める「コロコロPK」も代名詞のひとつ。08年クラブW杯のマンチェスター・ユナイテッド戦では、その「コロコロPK」で名手ファン デルサールを手玉にとり、話題を集めた。

日本代表での活躍

サンガ時代の99年には、U-20代表としてナイジェリア開催のワールドユース選手権(現U-20W杯)に出場。FIFAの世界大会で日本初の準優勝という快挙を成し、小野、高原、稲本、南、本山雅志、中田浩二、小笠原満男らとともに「黄金世代」と呼ばれた。

しかしクールで闘争心が現れないプレースタイルがトルシエ監督に敬遠されたのか、00年のシドニー五輪と02年の日韓W杯は落選。ジーコジャパンとなった02年11月にフル代表デビューを果たすも、06年ドイツW杯ではフィールドプレーヤーでただ一人 ”出番なし” という悔しさを味わう。

そのあとイビチャ・オシムが代表監督に就任すると、名将の薫陶を受けてチームの主力へと成長。10年W杯・南アフリカ大会のデンマーク戦では、本田圭祐とともに鮮やかなフリーキックを叩き込み、決勝トーナメント進出に貢献。このFKは後々の語りぐさとなった。

11年アジアカップでも優勝したチームの中心的役割を果たし、14年W杯ブラジル大会にも出場。14年間の代表歴で刻んだ国際Aマッチ152キャップ(15得点)は、歴代1位の出場記録である。

またハーフタイムには必ずシャワーを浴びたり、自動車の超低速運転で渋滞を起こしたりとマイペースな性格で知られ、「ヤット」の愛称でも親しまれた。

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